「すべての人にコード教育」は本当に必要? 88
ストーリー by hylom
そういう問題なの 部門より
そういう問題なの 部門より
headless 曰く、
本家/.「Should We Really Try To Teach Everyone To Code?」より。
すべての人がコードを学ぶべきとする風潮に対して、それが本当に必要なことなのかどうか、Gottfried Sehringer氏がWiredの記事で問いかけている。
記事では「もしも人々に何が欲しいのか聞いていたなら、彼らはもっと速い馬が欲しいと答えていただろう」というヘンリー・フォードの言葉を引用し、アプリケーション開発における「速い馬」はコードの書き方を学ぶことなのだとしている。つまり、多くの人々はアプリケーション開発手段としてコードを書くことしか知らないためにコード教育が重要だと思っているが、実際に我々が必要としているのは自動車なのだという。
アプリケーションを作りたければコードを書く必要があり、より多くのアプリケーションが必要となればより多くの人々にコードの書き方を教える必要がある。しかし、プログラミング言語は一般大衆向けのものであるのかどうか、子供たちを含め、すべての人にコードを書くことを教えるべきなのかどうかといった点に疑問を呈し、コードを書かずにドラッグ&ドロップなどの簡単な作業で優れたアプリケーションを作成できる環境(自動車)が必要だと主張している。
一方、米国のオバマ大統領はRe/codeのインタビュー(動画)で「すべての人々が早いうちにコードを学ぶ必要がある」と答えている。ただし、これは長期的な目標であり、国内で人材が育つまで必要な人材を国外から確保するため、移民政策の見直しが必要であるとも述べている。
すべての人に必要とは思わないが (スコア:5, すばらしい洞察)
論理的な思考は身につけておいて損はないとは思う
Re: (スコア:0)
デスマ製造機の営業は概念すら習得していないですものね
# ちょこっと変えるだけでしょ?明日までによろしく!とかダメ!ぜったいダメ!
Re: (スコア:0)
別にコードでなくてもよくね? その書き方だと、コードでしか論理を身につけることができないと解釈すること「も」出来るよ?
論理的思考は数学でも物理でもできるし、社会でも国語でも英語でもできるよ?
ひょっとして文系学問否定してる?
Re: (スコア:0)
現状の国語教育が「起承転結」を論理的文章構成の基本とかいう大嘘教えてる時点で否定されても致し方なかろう。
Re: (スコア:0)
嘘つくな。デマもほどほどにな。
少なくとも俺はそうは教わらなかった。
Re: (スコア:0)
まあそういう連中はどうせ数学なんて中学あたりで断念してるし、
日本の教育における「国語」では論理的思考は全く学べないし。
「もできる」けど、実際にやつらは「やってない」し「できない」人。
#所詮は落ちこぼれなんだよ、いわせんなよ恥ずかしい。
それを踏まえた上で、少なくとも元請のIT担当者やその経営陣、
及びSIer等のIT系企業の全社員には、プログラミングの基礎教育くらいはやっておくべき。
最低でもGoFなんかのオブジェクト指向プログラミングを使いこなせるくらいまでは。
それが出来ねえ奴は自分で何ができてないかもわかってねえから、救いようがない。
#アンタミタイニナー
全ての人が文筆家になる必要はないが、議論できる程度の読み書きは必要 (スコア:3, すばらしい洞察)
肝要なのは情報リテラシーと、それをベースにした議論に参加できる程度には情報機器の動作原理や仕組みを理解することではないでしょうか。
コーディングのスキルを持つ人材を・・・というのは、製造工程を担う人材の不足が予想されているからでしょう。
Re: (スコア:0)
Gottfried Sehringer氏:色んなアプリが欲しい(誰もが作れるようにしたい)
コード教育推進者:情報社会で弱者とならない教育をしたい
「コード教育」って言葉が悪いのは確か、ふつうに「情報処理」とかでいいんじゃ。
コードっていうと特定の言語を連想するけど
特定の言語勉強したって数年でメジャーな言語(フレームワーク)が変わったりする業界なわけだし。
コードの教育よりも (スコア:2)
情報工学をというか、開発プロセスの勉強をさせた方がいいわ。
馬とか車とかって利便性の話をしてるんだろうけど、そうじゃなくて、
安すぎる見積もり、短すぎる納期について考え直させるべき。
プログラム組める人は少ない方がいいわ。
その方が必然的に給与の改善につながる(はずだ)し。
# きっと。おそらく。たぶん。
オープンソースの飽和 (スコア:1)
コード教育あってもいいだろうけど、今後コード書ける人が爆発的に増えて、コードを共有していくと、
いずれ自分が書こうとしてるコードがすでにオープンソースで公開されてるってことが増えると思う。
そうなると、書く必要はなくなってくる(書こうと思ったらすべて書かれてる)から、いつか無駄になるかもね。
まだまだそんな社会は遠いだろうけど。
Re: (スコア:0)
それはそれで、果てしないメンテナンスの仕事が待ってたりして…
Re:オープンソースの飽和 (スコア:1)
人の書いたコードを読んで,理解して、自分のコードに組み込む作業は、
下手に一から自分で書くより難しい場合が少なくない。
(#2761901 のようなそういう常識の無い人がいるという事実こそが、
全ての関係者にプログラミング教育を施しておくことの重要性を示しているといえる。
必要なものはアプリじゃなくてコミュニケーション能力 (スコア:1)
何かを説明するときに、余談なくきちんと必要最小限を網羅するための練習。
数学や科学を勉強させるのも、元々はそういう能力を養うため。
一切空気を読まず言われたことのみを忠実に実行する機械を、事前に用意した指令書=プログラムのみで
思い通りに動かすというのはその練習として良いのではないか、
ともすれば公式を暗記すればよいと誤解されがちな数学教育よりも目的に合っているのではないか、という。
ただまあ、プログラムも、「アプリが必要だからやるんだ」とか早速誤解されてるあたりがどうにもならなさそう。
Re: (スコア:0)
「必要なのはコミュニケーション能力」と言っている人は、「自分が言っていることがどのような意味なのか、本当に理解しているのか」といつも思うんだが。
コミュニケーション能力って、時に論理的ではない行動を取る他人に対して、コミュニケーションがかみ合わない時にコミュニケーションを再構築する能力でしょ?
それが、一切空気を読まず言われたことのみを忠実に実行する機械相手に練習を行って、果たして身につくの?
Re: (スコア:0)
それはさらに上級編。
まず、言えば分かる人に確実に分かって貰える論理的能力が第一歩。
その上で、言っても分からない人の内部状態を推測しながら、
言っても分かる人と同じぐらいしっかりと分からせるという極めて高度な能力へと発展させる。
それが理想的なコミュニケーション能力。
実際にはそううまくは行かないので、第一歩の方をすっ飛ばし、
お互いにちゃんとは分かっていない状態で、どうにか成立した共通部分だけを駆使して、
ごまかしごまかしで世の中を回さないといけない場面の方が多いけど。
諦め混じりにそういうごまかし技術を、コミュニケーション能力と呼ぶのも、
社会に今まさに必要とされてるのはこっちなんだというのも分かるけど、理想ぐらいはもうちょっと高く持ちたい。
Re: (スコア:0)
コミュニケーション能力の意味が人それぞれで不明瞭なのに何を指してるのか特定せず単語を使う人は自分の意見を人に誤解なく伝えるのが苦手な人だと思われる。
数学の方が大切 (スコア:1)
数学の教育を優先すべき。
実装の仕方は、必要になってからで足りる。
Re:数学の方が大切 (スコア:2, 興味深い)
賛成だけど、文系に微積分なんかやらせる暇があったら確率・統計をがっつり教え込んでほしい。およそ数学と名のつくもので、これ以上一般市民にとって実用的なものはないと思う。時間が余るなら線形代数、そこから群論など、思い切り論理のトレーニングになるようなものに使った方がいいのでは。
今の数学カリキュラムはとにかく微積分にたどり着くことを前提に教えているけど、あれって工学・物理学・数学志望者以外にはそれほど役に立たないし、実際の内容も体系だって論理的に考えるというよりは様々なトリックを棒暗記する方に傾きがちなんだよね・・・。
Re:数学の方が大切 (スコア:1)
「数学」は大してできなくても、これだけは必須です。
Re: (スコア:0)
いっそ数学の一部として、
簡単な計算をするためのプログラミングを教えればいいんじゃなかろうか。
sin や cos がテイラー展開で実際に計算できることを体験させるとか。
Re:数学の方が大切 (スコア:1)
大学で研究室に配属された直後のゼミで、数学の問題を出され、
「君が解くのではなく、この問題を解くプログラムを書け」という課題を毎週やらされていた。
あれはいい勉強になりました。
Re: (スコア:0)
数学がより重要なのは同意だが、この手の主張をする人の多くは教育学を舐めすぎだと思う。統計的な人数を相手にすることの意味に無理解すぎる。
高校のカリキュラムにテイラー展開入れたら恐ろしいことになるよ。三角関数の微積までで十分。
中学のカリキュラムは関数(一次関数、xの変化量とyの変化量)と無理数(証明のない実数)までで十分。
そこにプラスアルファする「プログラミング」はその程度の前提でできるプログラミングであって、それ以上のものではない。実際、三角関数を全く知らなくてもできるプログラムは腐るほどある。そういうのができた方がいんじゃないか、って話で、プログラマを養成したいってのとは話の次元が違う。
自動車の運転免許取得者を増やしたいわけであって、職業的なレーサーと趣味で毎週末に峠を攻める人にしか乗れない自動車は駄目なんじゃないのってこと。
Re:数学の方が大切 (スコア:1)
人によっては名門幼稚園の入園試験というお受験以来の試練だったのでしょうね。
コードを学ぶ (スコア:1)
まあ、「コーディング」なら、わからなくもないが。
英語 (スコア:0)
日本における英語教育
初等中等教育までの内容のリストラ (スコア:0)
読み・書き・そろばん、社会(地理・法律・道徳)、科学、体育、芸術、もう一度内容を見直しても良いのでは?
少なくとも、草書を読まず・古式字体を扱わず・当時の発音を無視する古文(漢文は多分中等教育まででは扱わないだろうし、当時の発音を無視するなら、英会話も不要となる)は無意味だし、近代史より前の歴史も不要、地理も成人した頃には変わっていたという笑えない話が。
数学・科学についても相当の整理が可能では?
鉄棒・跳び箱なぞ何の役に立つ。(マット運動は受け身の基礎)
Re:初等中等教育までの内容のリストラ (スコア:1)
>少なくとも、草書を読まず・古式字体を扱わず・当時の発音を無視する古文(漢文は多分中等教育まででは扱わないだろうし、当時の発音を無視するなら、英会話も不要となる)は無意味だし、近代史より前の歴史も不要、地理も成人した頃には変わっていたという笑えない話が。
古文は小学校ではやらないわけだけど、中等教育には古文・漢文ともに不要という意味?
古文、漢文は英米教育でのラテン語、ギリシャ語みたいなもので、現代の言葉や思想に直接つながっているし、歴史的な意味も大きいので、読めるようになっておくのは一般教養の教育という観点で重要だと思います。一方、英会話教育にも、とくに米式発音にこだわるいまの学校英語の教育にも私は反対です。学校教育としては、英語は読み書きをしっかりやれば十分。どうせインド人や中国人の発音はヤンキーたちとは全然違うし。読み書きできれば、会話なんて(必要なら)すぐにできるようになります。
中世以前の歴史や地理は、大きな流れや概念を理解しておくのは意味があるんじゃないかな。
Re: (スコア:0)
メシさえ喰えれば文化など要らないというタイプ。
Re: (スコア:0)
中世以前の歴史や地理は、大きな流れや概念を理解しておくのは意味があるんじゃないかな。
一般人にとって歴史教育が役立つのは、偏にどうすれば勝ち組・負け組となるか、どの人が与するべき勝ち組・与せざるべき負け組となるのかと云う、古今東西普遍の人生訓を学ぶ事にある。
日本の歴史教育には、戦訓が殆ど出てこない事よりも明らかな様に、この観点=一般人にとっての実用性が完全に欠如している。
つまりリストラの対象とすべきであると云う事。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
受けた教育をどう身につけて応用するのかは、受けての状況や能力にも依存するしね。
結局のところ、まともに教育を受けなかったのでしょう。
Re: (スコア:0)
古文、漢文は英米教育でのラテン語、ギリシャ語みたいなもので、現代の言葉や思想に直接つながっているし、歴史的な意味も大きいので、読めるようになっておくのは一般教養の教育という観点で重要だと思います。
中世以前の歴史や地理は、大きな流れや概念を理解しておくのは意味があるんじゃないかな。
草書を読まず・古式字体を扱わず・記述当時の発音を無視する古文・漢文日本中等教育は、英米教育でのラテン語・ギリシャ語を現代の各言語文字・現代発音で学ぶ様な物。
草書を読まず・古式字体を扱わず・記述当時の発音を無視する古文・漢文なら、古文・漢文の現代語訳で学ぶだけで充分じゃないか。
国家・国民・
Re:初等中等教育までの内容のリストラ (スコア:1)
>英米教育でのラテン語・ギリシャ語を現代の各言語文字・現代発音で学ぶ様な物。
ラテン語の現代発音ってどんなんなん?
ルーマニア語みたいな感じなん?
Re: (スコア:0)
ラテン語の現代発音は、まあバチカンの発音のことでしょうね。現代イタリア語に近い。
古典ギリシァ語は、ヨーロッパでは、ローマ字にしたものを現代の自分の国語の発音で読む人が多いと思います。
日本ではドイツ風の発音を教わりますが、田中美知太郎先生の影響が大きいのでしょう。
Re:初等中等教育までの内容のリストラ (スコア:1)
初等基礎教育を「役に立つ・立たない」で切り分けることには反対。
「役に立つか?」と迫られれば、答えのほとんどは「(あんたの)役に立たない」に収束してしまうから。
でも、未来がどうなるか分からない(何が必要になるか分からない)児童に、「現在の質問者が理解できないだけの理由で」不要と決め付けるなら、彼らは「お客様」にしかなれない。
Re: (スコア:0)
それらを重視してない人がこんな残念なコメントを書いちゃうということだとすると
やっぱり必要なのでは
Re: (スコア:0)
こういう方は「社会というものは、個人に機会を平等に与えるものだ」と思っているんでしょうね。
実際には、文化的素養が先入観となり、能力のある者でも門前払いされることが有り得るというのが社会なんです。
文化的素養だけではなく言葉遣いや立ち居振る舞いすら、仕事に影響するし、採用にも影響するし、それ以前の教育を受ける機会(入試の面接、日常的な先生からの評価)にも影響します。
一般教養の必要性というのは、そういうことなのです。
Re: (スコア:0)
必要でしょうね。
滋賀でしたっけ?
「ぶ」が要るか要らないかで話題になっているのは。
知事は「学ぶ力」が必要だと言い、議員は「学力」が必要だと言っているとか。
「学ぶ力」と「学力」に関する論争 [hatena.ne.jp]
個人的には、今の教育は「上辺だけの学力(テストの点数)」に注力しすぎていて、教えられる側の力を伸ばすことをしていないって気がしますね。
きちんと「学ぶ方法」を習得して学ぶことそのものを学んだ子はきちんと自分で考えて行動も出来るしテストの点も取れますけど、テストの点の取り方だけ教えてもらった子は、テストの点は取れ
変化はしてますよ (スコア:0)
日本の義務教育も私が受けたものと、今、私の子供が受けているもので、結構変ってます。
国語じゃ発表の仕方(プレゼンテーション)がありますし。英語はかなり会話重視になっています。
中学の数学も集合は無くなったようです、確かスプートニクショックで焦ったアメリカが初等教育でも理系の強化ということで集合を持ち込んだのを真似したけれど、ことあるごとに日常生活に役に立たないと言われた結果でしょう。
少なくとも敗戦からの復興とその後の経済的繁栄を導いた程度には日本の教育は成功していたのですから、一気に変えるのではなく、一世代でこの程度の変化でも良いと私は思います。
大学の学科学部なんかはもっと激しく変化していますから、社会のニーズへの対応はそちらでかなり間に合うのじゃないかとも思います。
コードを書かずにドラッグ&ドロップなど(以下略 (スコア:0)
この手の、マウスでポトペタで作る、なんちゃってプログラミング教育が役に立っている姿を見たこと無いんだが。
そういう開発環境自体は、少なくとも知っているだけでも20年以上まえからあるけど・・・
これをもって「プログラミング教育」と呼ぶなら、不要だと思う。数学をしっかり教えたほうが余程マシ。
Re: (スコア:0)
HyperCardから入って抜けられなくなったクリエーターなんて、山ほどいると思うが。
根本的な問題 (スコア:0)
日本の教育機関ではそこまで無理じゃないかな?
教師はロリコンで子供が狙われる時代だしw
そんな奴にプログラムなんて無理w
60%の人間はプログラミングの素質がない (スコア:0)
60%の人間はプログラミングの素質がない [blogspot.jp] という話はどうなったんだろう?
上記が正しいとして、素質/適正があるグループにコーディングを教えるのは意味があると思うが、半数以上が素質が無いものを、全員に対して行うことは是か非か。
Re: (スコア:0)
必要なのは選択肢だよなあ。
全員金太郎飴みたいに同じことを教えるという方向性がおかしい。
入試にしても実施する学校・大学側にもっと出題範囲等に裁量権があっていいはず。
なんでも中央集権で全部一つに決めてやろうとするのが競争力を削ぐ根本的な原因だと思うんだが。
Re: (スコア:0)
言ってることはわかるようなわからないような。
音楽や美術や体育にしたって適正(才能)があると思うんだ。
(体育には適度な運動っていう意味もあるのかもだけど)
でもみんなやってる。そもそもやらないと適正があるかもわからない。
高度な事は専門的にやればいいけど、基礎を画一的に学ぶ意味はありそう?
Re: (スコア:0)
>60%の人間はプログラミングの素質がない
かなりの割合で素質が無い人がいるというのは事実だと思う。しかし、元になった
英文読めば分かるけど、その記事は結構ツッコミどころが多かった気が。
その上で、
「おれが出来ないのは本気だしてないから。俺はやればできる子。みてろ、明日から本気出す。」
と思ってるだけの適性がない有象無象の連中に、自分の身の程をわきまえてもらうには、
一度全員に本気の教育を施して、身をもって挫折を経験してもらうしか無いのでは。
すべての教師にプログラミング教育を! (スコア:0)
高校の情報教育で、WordとExcelの使い方位しか教えていない学校もあるそうだから
まず、教師を教育してみよう。
そうすれば、エロい人にも「すべての人にプログラミング教育」なんて無理だとわかるから
遊戯王カードで十分だろ (スコア:0)
ステータスと効果と順序。
カードゲームで鍛えられるんじゃね?
Re:遊戯王カードで十分だろ (スコア:1)
ずっと俺のターン!(無限ループ)
コンピュータがただの計算機に過ぎないことを知るよい機会なのでは (スコア:0)
コンピュータをブラックボックスと考えて、魔法のように過大な期待を持ってしまう人も
多いかと思うので、そこがきちんと是正されるなら有意義だと思います。
コーディングして動かせば、コンピュータは単に計算してくれるだけの箱なのだ、
ということが間接的にも分かるのではないでしょうか。
ソフトもハードも実は単純なことをやってるだけだ、ということが分かるだけでも
十分意味があることかと思います。
逆に、ソートアルゴリズムなんかを実際の手作業でやってみれば、
頭で考えるカンタンなことが実際には非常に面倒で、
コンピュータの使い所はそこなのか、ということが実感できて
つきあい方が分かってよろしいのではないかと。
#ただ、始めに触るプログラミング言語が Prologとかだとそういうのは実感できないわけですが。