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元の記事(日経)を読んでから判断するべきなんだよな。。。脊髄反射してる輩は読解力以前の問題だろう。
読めばわかるが「英語やプログラミング」の教育と「日本語力」の教育を対立的に捉えている部分はほとんどない。日経の記者がセンセーショナルに「英語やプログラミングの前に日本語力が必要 」とか強調して見出しつけてみたら、スラドの馬鹿がまんまと乗せられちゃったって印象。日経完勝w
ただ、調査の結果に少々疑問が、
> そこまで伝えると、今度は原因探しが始まる。「読書量が足りないからではないか」「塾に行けるだけの経済的余裕がないのではない
その先に一貫校の話も書いてあったと思うが。一貫校では不正解率5%だったそうな。貴方の理論は再考察を要するとおもわれ。
いや、むしろ一貫校の話をうまく説明できると思うんだよ。「成績に関係しないから、いい加減に答えた」という不真面目な生徒が一貫校の方には少なかっただけじゃなかろうかとかさ。
まあ、説明の仕方はいろいろあるだろう。他の人が書いてることも含めて可能性をまとめると、
1) 読書も塾通いも効かないすべてが手遅れな岩盤並みの馬鹿が一定数いて、それは普通校に集中している(←これがおそらく新井教授が考えていること)
2) 問題文から解答を導き出すという、国語の問題の解き方の基本を知らない生徒が普通校に集中している(←これは他の人が指摘してくれた事)
3) 「成績に関係しないから、いい加減に答えた」という生徒が普通校に集中している。
ぐらいになるだろう。
2が素直な解釈だとも思うのだが、「塾通いと相関がない」という話と矛盾するんだよなぁ(塾で国語習ってりゃ、そういう基本は理解させられてると思うから)あるいはサンプル数が少なくて塾との相関が見えなかったとかいうことなら、2で納得いくのだが。
3が一番単純でわかりやすいかなーと思うが、新井教授は否定してる。どこにも書いてない「ヒンドゥ教」は選ばなかっただけじゃなかろうかとも思うのだが。
1みたいな残念な人でも小学校のうちならまだ間に合うと新井教授は考えているのかもしれない(「子どもたちの基礎的な読む力は小学校のどこかの時点で大きな差がついてしまうらしい。」と述べている。つまり小学校の間だけで読解力の大半が決まってしまうと考えているようだ。これは中学校以降の読書や塾が相関として現れない原因を説明できる)。もし2であるならば、単にテクニック的なことなので、30分くらい説明してやれば終わる話だろう。3なら、テストのデザインが根本的におかしいということで、もはやどうでもよい。さて、現実はいかに?
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
だいたいこの手の話は (スコア:0)
元の記事(日経)を読んでから判断するべきなんだよな。。。脊髄反射してる輩は読解力以前の問題だろう。
読めばわかるが「英語やプログラミング」の教育と「日本語力」の教育を対立的に捉えている部分はほとんどない。日経の記者がセンセーショナルに「英語やプログラミングの前に日本語力が必要 」とか強調して見出しつけてみたら、スラドの馬鹿がまんまと乗せられちゃったって印象。日経完勝w
ただ、調査の結果に少々疑問が、
> そこまで伝えると、今度は原因探しが始まる。「読書量が足りないからではないか」「塾に行けるだけの経済的余裕がないのではない
Re: (スコア:0)
その先に一貫校の話も書いてあったと思うが。
一貫校では不正解率5%だったそうな。
貴方の理論は再考察を要するとおもわれ。
Re:だいたいこの手の話は (スコア:0)
いや、むしろ一貫校の話をうまく説明できると思うんだよ。「成績に関係しないから、いい加減に答えた」という不真面目な生徒が一貫校の方には少なかっただけじゃなかろうかとかさ。
まあ、説明の仕方はいろいろあるだろう。他の人が書いてることも含めて可能性をまとめると、
1) 読書も塾通いも効かないすべてが手遅れな岩盤並みの馬鹿が一定数いて、それは普通校に集中している(←これがおそらく新井教授が考えていること)
2) 問題文から解答を導き出すという、国語の問題の解き方の基本を知らない生徒が普通校に集中している(←これは他の人が指摘してくれた事)
3) 「成績に関係しないから、いい加減に答えた」という生徒が普通校に集中している。
ぐらいになるだろう。
2が素直な解釈だとも思うのだが、「塾通いと相関がない」という話と矛盾するんだよなぁ(塾で国語習ってりゃ、そういう基本は理解させられてると思うから)あるいはサンプル数が少なくて塾との相関が見えなかったとかいうことなら、2で納得いくのだが。
3が一番単純でわかりやすいかなーと思うが、新井教授は否定してる。どこにも書いてない「ヒンドゥ教」は選ばなかっただけじゃなかろうかとも思うのだが。
1みたいな残念な人でも小学校のうちならまだ間に合うと新井教授は考えているのかもしれない(「子どもたちの基礎的な読む力は小学校のどこかの時点で大きな差がついてしまうらしい。」と述べている。つまり小学校の間だけで読解力の大半が決まってしまうと考えているようだ。これは中学校以降の読書や塾が相関として現れない原因を説明できる)。もし2であるならば、単にテクニック的なことなので、30分くらい説明してやれば終わる話だろう。3なら、テストのデザインが根本的におかしいということで、もはやどうでもよい。さて、現実はいかに?