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将来的にコンピュータ使わない職につくとしても、目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していくというプログラミングの本質は万人に有効だと思います。ぜひやってほしいですね。
将来的に(*)使わない職につくとしても、目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していくという(*)の本質は万人に有効だと思います。
これって、あらゆる学問や知識体系に言えることなんじゃないでしょうか?(*)に好きな言葉を入れればたいていは何でも当てはまります。だからこその、小・中・高・大といった教育があります。どれも非常に役に立つことなのです。プログラミングのすばらしさと同じくらい、他のすばらしさも忘れないで学んでください。
児童・生徒・学生であれば、今学んでいること、そして学べる機会があることをうまく活用して「自分で自分を育て」てもらいたいです。不必要なことはなにもないのです。
うん、これを書いた人は『目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく』という部分を全く理解できていない、と言う事がよく判る。
他のジャンルの学問は、一般教養レベルでは『必要な手続きを見極め、手順を構築していく』代わりに何かを丸暗記しても通用してしまいます。なぜなら、『必要な手続きを見極め、手順を構築していく』事はその学問の主目的ではないからです。
が、プログラミングはまさに『目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく』事が全て。これこそが主目的になります。ですので、(*)の部分には「プログラミング」以外の何物も入りません。
# もうちょっと正確に言うと (*) の所に本当に収まるものは、全て「プログラミングの一種」と呼んでよい。
『目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく』という部分をプログラミングにしか解釈できない人が多いことが、大変よくわかりました。たいへんに悲しいと思います。これは、おそらく言葉の問題、そして「何を重要視するか」が大きく異なっているからだとは思います。
無論、このスラドというコミュニティはおそらくこの解釈はマジョリティでそれなりに正しいことと思えるかもしれませんし、発言者そのものの意図もプログラムが前提であることは間違いが無いと思います。ですが、蛇足的ですが、非常に許せない暴言と感じた言葉がいくつかありましたので、大人げなく文章を投下させていただきます。
>他のジャンルの学問は、一般教養レベルでは『必要な手続きを見極め、>手順を構築していく』代わりに何かを丸暗記しても通用してしまいます。
これは大きな間違いです。通用しません。試験では通用するかもしれませんが、それでは教養を理解したとは言いませんし、そもそも学問では全く通用しません。ナンセンスです。
たとえば、物理とか数学の問題はどうなのですか?数学の論理や物理の論理を理解するには、手続きを見極めて、手順を構築する必要があるのではないのですか?
たとえば、歴史はどうなのですか?丸暗記するのが教養なのですか?学問なのですか?
暗記学問・教養の代表のように言われますが、丸暗記しているだけの教育を受けて、丸暗記しているだけの方法論でしか世界の歴史を理解してないのならばそうなのでしょう。
でも、世界の流れや今の社会がどのように構成された理解するためには、非常に複雑に世界にちりばめられた要素を様々に研究された手続きを積み重ねて、論理で繋いで、構築、解釈するという巨大なロジックを作る作業が必要です。それらを怠っている限り、学問としての歴史のみならず、教養としての歴史の理解という目的も、それは十分に達成できていません
「手続きそのものが主目的ではない」という意味では、多くの学問は手続きそのものが目的ではないと見えるかもしれません。応用に近いところでは手続きそのものは重要視されないのも事実です。でもそれはプログラミングも一緒です。「動けば良い」という発想ならば、結構手続きがいい加減でも動きます。
多くの教養や学問は、手続きを正しく経ないと正しく理解できないのです。プログラミング以外の学問分野が丸暗記で目的に達成できると思っているのならば、それは多くの学問分野に対する冒涜ですし、教養がないと自らさらけ出しているのと同義です。人類の数千年の叡智を否定するおつもりですか。
ちなみに、歴史「学」となってしまうと、実は手続きそのものの研究ががある意味目的の学問なのはよくご存じだと思います。大学の歴史学の講義ではその点を非常に強調されている人が多いはずです。その意味ではより専門的に学問を見てしまえば、研究者は手続きそのものを研究していると言い換えることも出来るかもしれません。
「必要な手続きを見極め、手順を構築していく」ことそのものが、ある意味、まさに学問と言えることで、それこそが人類の叡智の集大成です。
教養の段階で丸暗記教育しか受けずに、それを丸暗記としか享受できないセンスで生活していて、丸暗記で満足して理解している段階では、それはその教養なり学問が未完成ということです。プログラムで言うところの「動かないプログラム」「バグのあるプログラム」をコーディングしただけです。
専門性を重視せずに、一般教養の段階でもそれらの手続きをきちんとこなしてない人の理解には非常に多くの間違いがあり、誤解して理解しています。そして、それはあまり教養があるとは言いません。
プログラムならば、動かない物はコーディングに失敗したら、手続きを間違っていたら動きませんので大変にわかりやすいです。(バグはわかりにくいですので、その意味ではバグ自体にこそある意味学問的なものを感じなくもないです)。
ところが、学問の多くは、手続きの結果得られた答えが正しいかどうかの判断が非常に曖昧です。
さらに言うと、分野によっては実験事実と合わせるのが正しいですが、実は意外に実験事実、歴史的事実そのものが間違っていることも多いです。そのように、「解」そのものが正しいのかどうかの検証を行うために、手続きそのものにも厳密な検証が必要となります。様々に積み重ねられた手続きを何度も検証する必要があります。手続きを疑い、アルゴリズムそのものを疑い、アルゴリズムそのものの元になった理論を疑い、検証結果を疑います。すべてを疑い、論理を構築し、物事をなします。
理解した気になって、"プログラムが" 動いた気になっていると・・・バグに足下をすくわれ、セキュリティホールにやられます。
ですので、教養と学問を「動かない段階」「バグがある段階」でそれをそうだと気がつかないことが今の教育の大きな問題でもあります。正しい教養や学問を身につけるというのは、むしろ手続きこそが大事です。それは「主目的」なのです。
特に今回話題となっている「教育」に関しては紛れもなくそれが主目的です。そうあるべきです。「目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく」事が肝要です。
丸暗記のような教育に染まって、教養や学問的な理解を初めとした論理的な思考がストップしていると、プログラミングが世の中の論理的な事象の中心見えるかもしれませんが、世の中もっと様々な論理的な考え方に溢れていることを知ってください。
その意味では、あなたのご意見は、逆説的ですが、あらゆる学問はプログラミングの一種であるということを言っているようにしか見えません。無論、それをそのように定義するのでしたらそれはそれで良いと思います。
その定義ならば「あらゆる学問」はプログラミングの一種である。(ただし、サイエンス(社会科学、自然科学)に限る。人文系は知らん)
そう考えるのは否定しません。ただし、数千年の歴史を持つあらゆる学問と、この数十年で派生したプログラムを比較したときに、どちらがより世間的にマジョリティであるかということは言うまでもありません。
ですので。しつこいですが。
>将来的に(*)使わない職につくとしても、目的のために必要な手続きを>見極め、手順を構築していくという(*)の本質は万人に有効だと思います。
の(*) に関して言えば、(*)に学問や知識体系という言葉を割り振ることは、より正しいことです。
プログラミングから手続きを経て物事を考える道に入るのは教育的には非常に良いことだとは感じます。素晴らしいと思います。それを元に、もっと様々な事柄を論理的に学ぶ習慣をつけてください。高校くらいの範囲からしっかり手順を経て論理的に構築するように学ぶとかなりいろいろな知見がしっかりと身につくと思います。
ちなみに私は理論物理学を仕事にしていて、趣味が歴史の勉強で、実際問題仕事の多くはプログラムを書くことです。最近は歴史の(特に)経済的な見地からの理解と構築に非常に興味を持っています。
要約:暇だ
つまり、
ということですか。
# 自分の主張を整理してから文章にしましょう。6点。
私はあなたのことをミスター・スポックと思うことにします。という感覚です。
長い。ともかく長い。そして、論点が見え辛い。これだけの文章書く暇があったら仕事したら?これでは、okky氏の言う事が正論で、#2087949の意見は駄論にしか見えない。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
有用だと思う (スコア:3, すばらしい洞察)
将来的にコンピュータ使わない職につくとしても、
目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していくという
プログラミングの本質は万人に有効だと思います。ぜひやってほしいですね。
Re: (スコア:2, 興味深い)
将来的に(*)使わない職につくとしても、目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していくという(*)の本質は万人に有効だと思います。
これって、あらゆる学問や知識体系に言えることなんじゃないでしょうか?(*)に好きな言葉を入れればたいていは何でも当てはまります。だからこその、小・中・高・大といった教育があります。どれも非常に役に立つことなのです。プログラミングのすばらしさと同じくらい、他のすばらしさも忘れないで学んでください。
児童・生徒・学生であれば、今学んでいること、そして学べる機会があることをうまく活用して「自分で自分を育て」てもらいたいです。不必要なことはなにもないのです。
Re: (スコア:1)
うん、これを書いた人は
『目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく』
という部分を全く理解できていない、と言う事がよく判る。
他のジャンルの学問は、一般教養レベルでは『必要な手続きを見極め、手順を構築していく』代わりに何かを丸暗記しても通用してしまいます。
なぜなら、『必要な手続きを見極め、手順を構築していく』事はその学問の主目的ではないからです。
が、プログラミングはまさに『目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく』事が全て。これこそが主目的になります。
ですので、(*)の部分には「プログラミング」以外の何物も入りません。
# もうちょっと正確に言うと (*) の所に本当に収まるものは、全て「プログラミングの一種」と呼んでよい。
fjの教祖様
Re:有用だと思う (スコア:1)
『目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく』
という部分をプログラミングにしか解釈できない人が多いことが、大変よくわかりました。たいへんに悲しいと思います。これは、おそらく言葉の問題、そして「何を重要視するか」が大きく異なっているからだとは思います。
無論、このスラドというコミュニティはおそらくこの解釈はマジョリティでそれなりに正しいことと思えるかもしれませんし、発言者そのものの意図もプログラムが前提であることは間違いが無いと思います。ですが、蛇足的ですが、非常に許せない暴言と感じた言葉がいくつかありましたので、大人げなく文章を投下させていただきます。
>他のジャンルの学問は、一般教養レベルでは『必要な手続きを見極め、
>手順を構築していく』代わりに何かを丸暗記しても通用してしまいます。
これは大きな間違いです。通用しません。試験では通用するかもしれませんが、それでは教養を理解したとは言いませんし、そもそも学問では全く通用しません。ナンセンスです。
たとえば、物理とか数学の問題はどうなのですか?数学の論理や物理の論理を理解するには、手続きを見極めて、手順を構築する必要があるのではないのですか?
たとえば、歴史はどうなのですか?
丸暗記するのが教養なのですか?学問なのですか?
暗記学問・教養の代表のように言われますが、丸暗記しているだけの教育を受けて、丸暗記しているだけの方法論でしか世界の歴史を理解してないのならばそうなのでしょう。
でも、世界の流れや今の社会がどのように構成された理解するためには、非常に複雑に世界にちりばめられた要素を様々に研究された手続きを積み重ねて、論理で繋いで、構築、解釈するという巨大なロジックを作る作業が必要です。それらを怠っている限り、学問としての歴史のみならず、教養としての歴史の理解という目的も、それは十分に達成できていません
「手続きそのものが主目的ではない」という意味では、多くの学問は手続きそのものが目的ではないと見えるかもしれません。応用に近いところでは手続きそのものは重要視されないのも事実です。でもそれはプログラミングも一緒です。「動けば良い」という発想ならば、結構手続きがいい加減でも動きます。
多くの教養や学問は、手続きを正しく経ないと正しく理解できないのです。プログラミング以外の学問分野が丸暗記で目的に達成できると思っているのならば、それは多くの学問分野に対する冒涜ですし、教養がないと自らさらけ出しているのと同義です。人類の数千年の叡智を否定するおつもりですか。
ちなみに、歴史「学」となってしまうと、実は手続きそのものの研究ががある意味目的の学問なのはよくご存じだと思います。大学の歴史学の講義ではその点を非常に強調されている人が多いはずです。その意味ではより専門的に学問を見てしまえば、研究者は手続きそのものを研究していると言い換えることも出来るかもしれません。
「必要な手続きを見極め、手順を構築していく」
ことそのものが、ある意味、まさに学問と言えることで、それこそが人類の叡智の集大成です。
教養の段階で丸暗記教育しか受けずに、それを丸暗記としか享受できないセンスで生活していて、丸暗記で満足して理解している段階では、それはその教養なり学問が未完成ということです。プログラムで言うところの「動かないプログラム」「バグのあるプログラム」をコーディングしただけです。
専門性を重視せずに、一般教養の段階でもそれらの手続きをきちんとこなしてない人の理解には非常に多くの間違いがあり、誤解して理解しています。そして、それはあまり教養があるとは言いません。
プログラムならば、動かない物はコーディングに失敗したら、手続きを間違っていたら動きませんので大変にわかりやすいです。(バグはわかりにくいですので、その意味ではバグ自体にこそある意味学問的なものを感じなくもないです)。
ところが、学問の多くは、手続きの結果得られた答えが正しいかどうかの判断が非常に曖昧です。
さらに言うと、分野によっては実験事実と合わせるのが正しいですが、実は意外に実験事実、歴史的事実そのものが間違っていることも多いです。そのように、「解」そのものが正しいのかどうかの検証を行うために、手続きそのものにも厳密な検証が必要となります。様々に積み重ねられた手続きを何度も検証する必要があります。手続きを疑い、アルゴリズムそのものを疑い、アルゴリズムそのものの元になった理論を疑い、検証結果を疑います。すべてを疑い、論理を構築し、物事をなします。
理解した気になって、"プログラムが" 動いた気になっていると・・・バグに足下をすくわれ、セキュリティホールにやられます。
ですので、教養と学問を「動かない段階」「バグがある段階」でそれをそうだと気がつかないことが今の教育の大きな問題でもあります。正しい教養や学問を身につけるというのは、むしろ手続きこそが大事です。それは「主目的」なのです。
特に今回話題となっている「教育」に関しては紛れもなくそれが主目的です。
そうあるべきです。
「目的のために必要な手続きを見極め、手順を構築していく」
事が肝要です。
丸暗記のような教育に染まって、教養や学問的な理解を初めとした論理的な思考がストップしていると、プログラミングが世の中の論理的な事象の中心見えるかもしれませんが、世の中もっと様々な論理的な考え方に溢れていることを知ってください。
その意味では、あなたのご意見は、逆説的ですが、あらゆる学問はプログラミングの一種であるということを言っているようにしか見えません。無論、それをそのように定義するのでしたらそれはそれで良いと思います。
その定義ならば「あらゆる学問」はプログラミングの一種である。
(ただし、サイエンス(社会科学、自然科学)に限る。人文系は知らん)
そう考えるのは否定しません。
ただし、数千年の歴史を持つあらゆる学問と、この数十年で派生したプログラムを比較したときに、どちらがより世間的にマジョリティであるかということは言うまでもありません。
ですので。しつこいですが。
>将来的に(*)使わない職につくとしても、目的のために必要な手続きを
>見極め、手順を構築していくという(*)の本質は万人に有効だと思います。
の(*) に関して言えば、(*)に学問や知識体系という言葉を割り振ることは、より正しいことです。
プログラミングから手続きを経て物事を考える道に入るのは教育的には非常に良いことだとは感じます。素晴らしいと思います。それを元に、もっと様々な事柄を論理的に学ぶ習慣をつけてください。高校くらいの範囲からしっかり手順を経て論理的に構築するように学ぶとかなりいろいろな知見がしっかりと身につくと思います。
ちなみに私は理論物理学を仕事にしていて、趣味が歴史の勉強で、実際問題仕事の多くはプログラムを書くことです。最近は歴史の(特に)経済的な見地からの理解と構築に非常に興味を持っています。
Re: (スコア:0)
要約:暇だ
Re: (スコア:0)
つまり、
ちなみに私は理論物理学を仕事にしていて、趣味が歴史の勉強で、実際問題仕事の多くはプログラムを書くことです。最近は歴史の(特に)経済的な見地からの理解と構築に非常に興味を持っています。
ということですか。
# 自分の主張を整理してから文章にしましょう。6点。
Re: (スコア:0)
私はあなたのことをミスター・スポックと思うことにします。という感覚です。
Re: (スコア:0)
長い。ともかく長い。そして、論点が見え辛い。
これだけの文章書く暇があったら仕事したら?
これでは、okky氏の言う事が正論で、#2087949の意見は駄論にしか見えない。