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そのとうりで、プログラミングより必要なのは論理を養う数学のお勉強数学の勉強の中でアルゴリズムとは何かを学んだり、簡単なプログラミング学習をするのなら賛成
そして、そのためにはまず国語をしっかりと習得していなければならないはずなんだけど…
小学校レベルでは論理的な思考を言葉でまともに表現できる教師も少ないと言うのに、その先(例:数学)の先(プログラミング)の事を言っても、机上の空論な気がする。
母国語である日本語による適切な表現や読解ができていない現状で、英語や、プログラム言語のようなものを持ち込んでも、本末転倒である。少なくとも、5W1Hをしっかり押さえたレポートを書けるようになってからでも、遅くはない。それができなければ、そもそもプログラムの設計なんてできないし、まともなプログラムが書けるわけがない。
日本語では十分な表現が出来ないからこそ、プログラム言語が必要なのですよ。+÷や小数点といった算術記号や記法を使わず、日本語だけで頑張ろうとすると小学校の二年でも殆どの子供が算数嫌いになりますよ。
もっとも義務教育レベルの児童や生徒の全員にプログラミングを教えるべきかどうかは別ですね。日米英いずれでも貧富の差が拡大しているような世界では、社会にとっても個々親にとっても子供にとっても負担が大きすぎるかも知れません。
日本語での報連相がちゃんと出来ることを目指す子と、いつどう役立つか解らないような教養まで教えられる子がいてもいいわけで、その場合は、義務教育化しない方がよいでしょう。
>日本語での報連相がちゃんと出来ることを目指す子1億人に1人成功するかどうかわからん教養や芸術を、義務教育化する必要はない。日本語での報連相がちゃんと出来る子なら、教育や作業指示をしやすいから、就職して生活していくには有利だろう。義務教育で教えるべきことは、基本的には、社会人として生活していくために最低限必要な知識である。日本語での報連相できるなら、最低限どっかに就職して、生活していける可能性が高い。日本語での報連相がちゃんと出来るように教育するために、プログラミングの教育が役に立つなら、それも一つの方法論である。
>日本語では十分な表現が出来ないからこそ、プログラム言語が必要なのですよ。+÷や小数点といった算術記号や記法を使わず、日本語だけで数学を論ずることは、かつて我々日本人の先人が和算で行っていたことです。但し、+÷や小数点といった算術記号や記法を使わず、日本語だけで頑張ろうとすると小学校の二年でも殆どの子供が算数嫌いになります、という話には同意します。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
プログラミングに拘る必要はないし、早期教育も必要ない (スコア:1)
論理的思考を教育するための手段としてプログラミングが採用されているならそれは不適切だと思います。
コンピュータ教育の一環としてのプログラミングなら、他の学問を習得してからでも十分に間に合うでしょう。
というか、論理的な思考が身についていない状態で、技術としてプログラミングを学ぶことに如何ほどの意味があるのか疑問です。
Re: (スコア:0)
そのとうりで、プログラミングより必要なのは論理を養う数学のお勉強
数学の勉強の中でアルゴリズムとは何かを学んだり、簡単なプログラミング学習をするのなら賛成
Re: (スコア:0)
そして、そのためにはまず国語をしっかりと習得していなければならないはずなんだけど…
小学校レベルでは論理的な思考を言葉でまともに表現できる教師も少ないと言うのに、
その先(例:数学)の先(プログラミング)の事を言っても、机上の空論な気がする。
Re: (スコア:0)
母国語である日本語による適切な表現や読解ができていない現状で、英語や、プログラム言語のようなものを持ち込んでも、本末転倒である。
少なくとも、5W1Hをしっかり押さえたレポートを書けるようになってからでも、遅くはない。それができなければ、そもそもプログラムの設計なんてできないし、まともなプログラムが書けるわけがない。
Re:プログラミングに拘る必要はないし、早期教育も必要ない (スコア:1)
日本語では十分な表現が出来ないからこそ、プログラム言語が必要なのですよ。
+÷や小数点といった算術記号や記法を使わず、日本語だけで頑張ろうとすると
小学校の二年でも殆どの子供が算数嫌いになりますよ。
もっとも義務教育レベルの児童や生徒の全員にプログラミングを教えるべきか
どうかは別ですね。日米英いずれでも貧富の差が拡大しているような世界では、
社会にとっても個々親にとっても子供にとっても負担が大きすぎるかも知れません。
日本語での報連相がちゃんと出来ることを目指す子と、いつどう役立つか解らな
いような教養まで教えられる子がいてもいいわけで、その場合は、義務教育化し
ない方がよいでしょう。
Re: (スコア:0)
>日本語での報連相がちゃんと出来ることを目指す子
1億人に1人成功するかどうかわからん教養や芸術を、義務教育化する必要はない。
日本語での報連相がちゃんと出来る子なら、教育や作業指示をしやすいから、
就職して生活していくには有利だろう。義務教育で教えるべきことは、基本的には、社会人として生活していくために最低限必要な知識である。日本語での報連相できるなら、最低限どっかに就職して、生活していける可能性が高い。
日本語での報連相がちゃんと出来るように教育するために、プログラミングの教育が役に立つなら、それも一つの方法論である。
Re: (スコア:0)
>日本語では十分な表現が出来ないからこそ、プログラム言語が必要なのですよ。
+÷や小数点といった算術記号や記法を使わず、日本語だけで数学を論ずることは、かつて我々日本人の先人が和算で行っていたことです。
但し、+÷や小数点といった算術記号や記法を使わず、日本語だけで頑張ろうとすると小学校の二年でも殆どの子供が算数嫌いになります、という話には同意します。