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GPS将棋とponanzaが、名人戦と同じ持ち時間(2日制9時間)で七番勝負をすれば、人間を超えたかどうか明確になるのではないかと思います。盤上の棋譜や読み筋はタイトルホルダーをも凌駕すると予想していますが、「コンピューター名人戦」の人気や集客・注目度、スポンサー収益といった盤外も含めて、人間と比較してほしいところです。
やらないほうがいいでしょ。
現在の勝ったり負けたりのぐたぐたが良い。
コンピュータが完勝などすると、コンピュータ側が勝ち逃げするのが目に見えるようだ。
元のコメントは人VSコンピュータでなくコンピュータVSコンピュータの話をしてるのでは、というのはさておき。
>コンピュータが完勝などすると、コンピュータ側が勝ち逃げするのが目に見えるようだ。勝ち逃げどころか、人間側がどんどん挑戦してくる分にはコンピュータ側はウェルカムだと思う。
その通りで、想定しているのは「コンピューターvsコンピューター」の対局です。
今回の大会は25分切れ負けですが、これだとコンピュータも秒に追われて読み切れない事態が発生しますし、ルールを逆手に取った稲庭将棋のようなものも出てきます。(稲庭将棋の発想は、常識破りで好感を持っていますが、棋力が高い指し方とはいえないですし)そうではなく、十分な持ち時間を与え、番勝負で「まぐれ」の影響を小さくすれば、純粋に最高の棋力を持つもの同士の対局、棋譜が期待できます。
では、このコンピューター同士の対局を盛り上げ、森内×羽生、古くは大山×中原、木村義雄×升田幸三を人気や集客度で超えることが可能なのか?が、自分の次の興味です。
人間同様に盛り上がるのは無理でしょ。その可能性が少しでもあると考えているのが不思議。
それ、「コンピューターが将棋で人間のプロに勝つのは無理、その可能性が少しでもあると考えているのは不思議」と言っていた30年前の私たちを笑えないですよ。むしろ、無理と決めつけるほうが不思議で、なぜ無理と決めてかかっているのか教えてほしいところです。
コンピューター同士の対局が人間のそれを人気や集客度で凌駕するのが30日後には無理でも、30年後ならわかりませんよ。(30年後には将棋文化がなくなっているだろう、という指摘もありそうですが)集客やマーケティングも人間がアタマで考えて成功した結果の積み重ねなので、定跡のようなものです。コンピ
なぜ無理と決めてかかっているか、それは同じ道を歩んだチェスの前例があるから。人間同士の対戦も、コンピュータ同士の対戦も廃れることなく続いてはいます。コンピュータ同士の対戦は、既に人間が見て理解できないほどの強さになっていますが、興行としては成り立っていません。強さと人が見て楽しいかは別なんです。
書かれていることの4行目以降は意味不明ですね。コンピュータ同士の対局が客を呼べるかという話かと思ったら、なぜか人間とコンピュータの強さの話に。コンピュータが人間の強さを超えるかという話題ならば、今回の世界コンピュータ将棋選手権に参加する開発者の大半は、予算の制限さえなくせば既に人間に勝ち目はないと考えていると思いますよ。
現状では、コンピューターチェスは興行として成り立たないのでしょうけれど、興行的に成り立つような何かはないのかなあ。(というのが、意味不明と指摘された4行目以降の趣旨です。興行の手段に今までとは全く違うイノベーションが現れれば、コンピューター将棋が興行的に成り立つ可能性はあるのでは?という意味。)
開発者に焦点を当てたるしかない?プログラムを擬人化していくのは?読み筋を「見える化」して、解説できる人が現れたり、ソフトが開発されたりするのは興行的にどうか?……など、考えてしまいます。
読み筋を「見える化」して、解説できる人が現れたり、ソフトが開発されたりするのは興行的にどうか?
「読み筋」などというものが今後もあれば、ですね。コンピュータ将棋は、ゲーム木の全探索達成により終焉を迎えることになります。もちろん、それはかなり先の話でしょうが、それこそ「30年後なら分からない」ことです。
全探索が達成されれば、もはや「読み筋」などというものは存在しません。先手・後手が決まった時点で、ゲームの終了(先手必勝/後手必勝/引き分け、のいずれか)も決まります。そこには理由などなく、思考もありません。ただ終わりに至るまでの手順があるだけです。
ボクシングやレーシングなどの、環境や天候や物理法則やパーツ性能や部品精度やら何やら、マシン以外の部分に不確定要素が大きいなら興行が成り立つ余地があると思います。
これらの要素の特徴は「時間により変動する」ことですが、テーブルゲームだと、不確定要素は基本アルゴリズムの差と実行パワーの差でしかないわけで、そこに不確定要素はない≒(結果はともかく)見続けて楽しいものではない部分があります。(もちろん、本質とは異なる部分にも美しさ・楽しさは表れるわけで完全否定はできませんが、期待できる頻度として低い)
「ぐぬぬ……戦況か厳しいからHDD加熱が怖いけどリザーブ出力20%も投入だ!」「ダメです、機体が持ちません!」「いいからやれ!」みたいなソフト内演出を取り入れてもどこかしら茶番感が漂います。
……「製品寿命が50時間のPCを20台与えて、どのように組み上げどのようなソフトを導入するかから勝負が始まる」みたいな興業ならできますかね?
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
コンピュータ同士の9時間2日制の開催希望 (スコア:2)
GPS将棋とponanzaが、名人戦と同じ持ち時間(2日制9時間)で七番勝負をすれば、人間を超えたかどうか明確になるのではないかと思います。
盤上の棋譜や読み筋はタイトルホルダーをも凌駕すると予想していますが、「コンピューター名人戦」の人気や集客・注目度、スポンサー収益といった盤外も含めて、人間と比較してほしいところです。
Re: (スコア:-1)
やらないほうがいいでしょ。
現在の勝ったり負けたりのぐたぐたが良い。
コンピュータが完勝などすると、コンピュータ側が勝ち逃げするのが目に見えるようだ。
Re: (スコア:1)
元のコメントは人VSコンピュータでなくコンピュータVSコンピュータの話をしてるのでは、というのはさておき。
>コンピュータが完勝などすると、コンピュータ側が勝ち逃げするのが目に見えるようだ。
勝ち逃げどころか、人間側がどんどん挑戦してくる分にはコンピュータ側はウェルカムだと思う。
Re: (スコア:1)
元のコメントは人VSコンピュータでなくコンピュータVSコンピュータの話をしてるのでは、というのはさておき。
その通りで、想定しているのは「コンピューターvsコンピューター」の対局です。
今回の大会は25分切れ負けですが、これだとコンピュータも秒に追われて読み切れない事態が発生しますし、ルールを逆手に取った稲庭将棋のようなものも出てきます。
(稲庭将棋の発想は、常識破りで好感を持っていますが、棋力が高い指し方とはいえないですし)
そうではなく、十分な持ち時間を与え、番勝負で「まぐれ」の影響を小さくすれば、純粋に最高の棋力を持つもの同士の対局、棋譜が期待できます。
では、このコンピューター同士の対局を盛り上げ、森内×羽生、古くは大山×中原、木村義雄×升田幸三を人気や集客度で超えることが可能なのか?が、自分の次の興味です。
Re: (スコア:0)
人間同様に盛り上がるのは無理でしょ。
その可能性が少しでもあると考えているのが不思議。
Re: (スコア:1)
それ、「コンピューターが将棋で人間のプロに勝つのは無理、その可能性が少しでもあると考えているのは不思議」と言っていた30年前の私たちを笑えないですよ。
むしろ、無理と決めつけるほうが不思議で、なぜ無理と決めてかかっているのか教えてほしいところです。
コンピューター同士の対局が人間のそれを人気や集客度で凌駕するのが30日後には無理でも、30年後ならわかりませんよ。
(30年後には将棋文化がなくなっているだろう、という指摘もありそうですが)
集客やマーケティングも人間がアタマで考えて成功した結果の積み重ねなので、定跡のようなものです。
コンピ
Re: (スコア:0)
なぜ無理と決めてかかっているか、それは同じ道を歩んだチェスの前例があるから。
人間同士の対戦も、コンピュータ同士の対戦も廃れることなく続いてはいます。
コンピュータ同士の対戦は、既に人間が見て理解できないほどの強さになっていますが、興行としては成り立っていません。
強さと人が見て楽しいかは別なんです。
書かれていることの4行目以降は意味不明ですね。
コンピュータ同士の対局が客を呼べるかという話かと思ったら、なぜか人間とコンピュータの強さの話に。
コンピュータが人間の強さを超えるかという話題ならば、今回の世界コンピュータ将棋選手権に参加する開発者の大半は、
予算の制限さえなくせば既に人間に勝ち目はないと考えていると思いますよ。
Re: (スコア:1)
なぜ無理と決めてかかっているか、それは同じ道を歩んだチェスの前例があるから。
人間同士の対戦も、コンピュータ同士の対戦も廃れることなく続いてはいます。
コンピュータ同士の対戦は、既に人間が見て理解できないほどの強さになっていますが、興行としては成り立っていません。
強さと人が見て楽しいかは別なんです。
現状では、コンピューターチェスは興行として成り立たないのでしょうけれど、興行的に成り立つような何かはないのかなあ。
(というのが、意味不明と指摘された4行目以降の趣旨です。
興行の手段に今までとは全く違うイノベーションが現れれば、コンピューター将棋が興行的に成り立つ可能性はあるのでは?という意味。)
開発者に焦点を当てたるしかない?プログラムを擬人化していくのは?
読み筋を「見える化」して、解説できる人が現れたり、ソフトが開発されたりするのは興行的にどうか?
……など、考えてしまいます。
Re: (スコア:0)
「読み筋」などというものが今後もあれば、ですね。
コンピュータ将棋は、ゲーム木の全探索達成により終焉を迎えることになります。
もちろん、それはかなり先の話でしょうが、それこそ「30年後なら分からない」ことです。
全探索が達成されれば、もはや「読み筋」などというものは存在しません。
先手・後手が決まった時点で、ゲームの終了(先手必勝/後手必勝/引き分け、のいずれか)も決まります。
そこには理由などなく、思考もありません。ただ終わりに至るまでの手順があるだけです。
Re:コンピュータ同士の9時間2日制の開催希望 (スコア:1)
ボクシングやレーシングなどの、環境や天候や物理法則やパーツ性能や部品精度やら何やら、
マシン以外の部分に不確定要素が大きいなら興行が成り立つ余地があると思います。
これらの要素の特徴は「時間により変動する」ことですが、
テーブルゲームだと、不確定要素は基本アルゴリズムの差と実行パワーの差でしかないわけで、
そこに不確定要素はない≒(結果はともかく)見続けて楽しいものではない部分があります。
(もちろん、本質とは異なる部分にも美しさ・楽しさは表れるわけで完全否定はできませんが、期待できる頻度として低い)
「ぐぬぬ……戦況か厳しいからHDD加熱が怖いけどリザーブ出力20%も投入だ!」「ダメです、機体が持ちません!」「いいからやれ!」
みたいなソフト内演出を取り入れてもどこかしら茶番感が漂います。
……「製品寿命が50時間のPCを20台与えて、どのように組み上げどのようなソフトを導入するかから勝負が始まる」みたいな興業ならできますかね?