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1339 story

「短いプログラムは無条件で正しい」 125

ストーリー by Oliver
極論万歳 部門より

takusi 曰く,"@ITのopinionの「ソフト開発を成功させる1つの方法」によると、「短いプログラムは無条件で正しい。なぜなら、短いプログラムは短いというだけで実行速度も速く、理解も容易であるからだ」そうです。より短いプログラムの方が良いというの分かるけど、それなら、プログラムを書かないのが一番、正しいですよね。"

UNIXの精神論もシンプルに簡単にしようのKISS。言語をうまく選べば(たとえばRuby)、同じ事もより簡潔でなおかつ読みやすいコードで出来るので、一理はありそうだ。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by gori (3642) on 2001年10月21日 18時46分 (#31287)
    元記事ではオブジェクト指向を否定しているが、これは考えが甘い。
    ソフトウェアが行うこと(所謂機能)が複雑化すれば、コードは複雑にならざるを得ないのは明らか。
    これに対して、プロセス単位での短さ、単純さとコードレベルでの短さ、単純さを同列に語るのは愚かである。
    複雑なソフトウェアをクラスという単位に分割してコードを作成するのがオブジェクト指向である。
    単純で短く完結したクラスを、パイプの代わりに関数呼び出し(メソッドコール)で組み合わせて大規模複雑なソフトウェアを構成するのである。
    例にあがっている、クラスのメンバーの価を取得する巻数にしても、メンバーの価を取るのではなく、概念として存在する価を取ると考えるべき。その裏には、そのクラスが完結したソフトウェアとして成立するためのコードが存在するはず。メソッド一つ取りだして効率を語るのは全く無意味。
    筆者は隠蔽の意味を全くわかっていない。
  • 古きよき時代? (スコア:3, すばらしい洞察)

    by takusi (5869) <takusi@gmail.com> on 2001年10月21日 17時50分 (#31262) ホームページ 日記
    UNIXの精神はまさに、一つの単純な機能しか持たないプログラムを、パイプやシェルで組み合わせて、柔軟で汎用的な処理をしようということですよね。

    ただ、最近は、Winに限らず、Linuxでも、GUIのプログラムはでか過ぎる。
    1.0がまじかのMozillaだって、どう考えてもバカでかいプログラムの一つです。噂ではApacheも2.0では、汎用性のために、巨大で複雑になるようですし。

    小さいプログラムというのは、過去の古きよき時代の歴史物になってしまうのでしょうか。
    --
    rm -rf /bin/laden
  • by rug (55) on 2001年10月21日 19時22分 (#31306) 日記
    > 結局いいたいのはC#はJavaより短くかけるからいいってことですね。

    というより、むしろC#がJavaより優れているという理由を無理矢理 でっちあげているようにも見えるな。

    川俣晶って前にも 「C言語の処理系を作るために実際にyaccを使っているユーザーは全世界で十人ぐらいしか居ないだろう」とか書いた前科があるし、 「結論先にありき(すべてXML)で、現実を意図的に曲解する」という指摘もあながち外れてはいないなという気がする。

    というか、私の中では吉田弘一郎や岩谷宏あたりと大して変わらない存在だったりする。
  • by zeissmania (3689) on 2001年10月21日 19時26分 (#31309)
    >時代遅れの考えかも知れないです
    いーえ、今はまず
    1.1次キャッシュから取れるか?
    2.2次キャッシュから取れるか?
    3.メモリから取って来るか?
    で実行速度が大幅に変わりますから、時代遅れな考えではありません。
    昔の「メインメモリ」が「CPUキャッシュ」、「ディスク」が「メインメモリ」になっただけです。
    #容量的にもそんなもんだし。
  • 反面教師 (スコア:3, すばらしい洞察)

    by moriwaka (89) on 2001年10月21日 20時44分 (#31339) 日記
    元記事の要旨は、
    「最近頭と気力がよわってきて、長いコードを扱うことや、
    ライブラリやオブジェクト指向の勉強ができなくなってきました。」
    っていうことなのでわ。

    だから速いアルゴリズムにして長くなることも…とかは考えもできず、
    ライブラリ知らないので全部自分で作ることになって混乱するからOOPが嫌になり…。
    てなかんじで、よいプログラマになりたい方にとっては
    反面教師以外のなにものでもない気がします。
  • by brake-handle (5065) on 2001年10月21日 22時50分 (#31377)

    KISSという言葉を使っているかどうかはわかりませんが、"UNIX Internals: The New Frontiers"(Uresh Vahalia)によると、Allman E.が1987年冬のUSENIXにて「小さいことは美しい」というUnixのphilosophyについて述べています。

    ただし、注目すべきは同じ1987年冬のUSENIXでの、Dennis Ritcheの論文です。Ritcheはこの論文で以下のように述べ、Unixの問題点を指摘しています。

    多くのユーザはOSにある仕事をすることだけを望んでおり、その基盤となるファイルシステムやプロセスなどのモデルの優雅さには全く興味がない。
    Unixの単純性を理解し、真価を認めるには、天才を必要とする。

    そういう意味では、"Keep it simple"が理解できる人に対して"Stupid"と言うのは実は失礼なのかも知れません。また、川俣晶と言う人は7年ほど前個人的に知っていた(当時NIFTY SERVEの某所によく出入りしていた)のですが、今思えばあまりRitcheの言葉が理解できる人ではありませんでしたね(その某所にいた人のうち私以外はみんなそのような感じでした。なにせほぼ全員WindowsNTしか使わんと言うところでしたから。ちなみに当時の私はSunOS4)。

  • "Keep It Simple and Stupid (単純でバカなままにせよ)" と、この基礎知識には書いていますが、あまりにも酷い間違いなので指摘しておきます。 ただしくは"Keep It Simple , Stupid (単純なままにしておけ、このバカ)"です。creeping featurism (何でもかんでも作りこんじゃう主義)へ毒されている方々へ贈る言葉です。詳しくは Jargon Fileの KISS Principleの項を参照のこと

    あと「スモール・イズ・ビューティフル」というのは UNIXが語源ではなく、1973年にフレッツ・シューマッハというイギリスの経済学者が出版した本の名前 から来ています。その本の中では経済の適正な規模という概念を構築していて「大きいことが良いことではなく、適正な規模であることが最も重要である(それは 大きくはない)」ということを言っています。 人間中心の経済学、巨大技術に対する 中間技術といったことを説いていています。 一言でいえば(当時の)現代経済学に対する アンチテーゼの経済学です。 読んでみると面白いですよ。

    --
    すずきひろのぶ
  • 記事の方を弁護するわけではないのですが、書き捨てやある程度、変更に弱い作りというのも、あながち間違いともいえないと思います。昨今の、オブジェクト指向一辺倒、汎用化一辺倒の風潮に対して、アンチテーゼとして傾聴に値すると思います。

    C++の例が象徴的だと思うのですが、確かにメンバ変数を直接触らず、メソッドを経由するのは、「基本的には」、良い設計だと思います。なぜなら、将来、クラスの実装を変更したとしても、プログラムの変更がクラスの実装だけに留まって、そのクラスにアクセルしている部分を変更する必要がないからです。いわゆる、実装のブロック化にも通じると思います。

    しかし、ここで重要なのは、クラスの実装が変更されなければ、アクセス手段を抽象化する必要がないという点です。しかも、アクセス手段をインターフェイスによって抽象化しても、インターフェイスの変更が必要になったら、結局、クラスの実装の変更、即ち、プログラムの一部の変更ではすまなくなります。

    何が言いたいかというと、アクセスの抽象化による変化への対応能力にも限界があるし、プログラムが無用に複雑化することという欠点もあるということです。

    "書き捨てや変更に弱いプログラムの意義"
    ある状況においては、保守や拡張が非常に困難な、いわゆる、書き捨てのプログラムや、汎用性や移植性、将来の変更に対する耐性を犠牲にしたプログラムというのも、「あり」ではないでしょうか。WinのCOMや.NET、あるいは、GNOMEのBonobo[GNOMEのFAQ]のようなものを利用すれば、単体のプログラムが小さいままであることが可能で、保守性や仕様の変更に弱いプログラムでも十分、実用的であることができると思うのです。もちろん、この考えは言語の支援だけでは、まったく不十分です。OSやライブラリの支援が必須です。
    --
    rm -rf /bin/laden
  • コーディングを早く終らせて/.が見たいからかな(違

  • 短いと速い (スコア:2, すばらしい洞察)

    by kubota (64) on 2001年10月21日 17時45分 (#31260) ホームページ 日記
    言語をうまく選べば(たとえばRuby)、同じ事もより簡潔でなおかつ読みやすいコードで出来るので、一理はありそうだ。

    それだと、短いプログラムは短いというだけで速い、と言うことができないよ。いや、Ruby は遅いって言いたいんじゃなくて、速さを追求する目的でプログラムを短くするのなら、プログラムを短くするだけのために言語をとっかえると当初の目的に反することになる可能性があるよ、って。

    それに、一般論としても、短いほうが速いとは言えないと思う。

  • たしかに実行速度自体がトロいのは問題かも知れませんが、現状でスピードのみを求めるのはあまり一般的ではない気がします。現在のPCは十分な速度を持っているので、ヘタに高速と名打って書き換えるとバグの温床になりかねません。

    > 一般論としても、短いほうが速いとは言えないと思う。

    具体的にはどういう感じのときにそういう一般論が出て来るのか興味があります。

  • by argon (3541) on 2001年10月21日 18時01分 (#31270) 日記
    Bubble Sort と Quick Sort とか?

    いまどきは Quick Sort は built-in かも。

  • 一理ある (スコア:2, 参考になる)

    by oddmake (1445) on 2001年10月21日 18時02分 (#31271) 日記
    いい参考文献が無かったのですが、Windows、Solaris、FreeBSDの比較をしてみたりすると、そういうこともあるかなって思います。
    あとモジュール化とか構造化プログラミングっていうのは(オブジェクト指向もかな)長いプログラミングを短いプログラミングに分割していいプログラムを作る技法ってことじゃないかなぁ・・・とか思ったりして。私見ですが。
    --
    /.configure;oddmake;oddmake install
  • Re:ループ (スコア:2, おもしろおかしい)

    by takusi (5869) <takusi@gmail.com> on 2001年10月21日 18時12分 (#31275) ホームページ 日記
    > #いつの頃からCUIって使うようになったんだろう。CLIって死語?

    だって、CLIだとMSの.NETのCommon Language Interfaceになったしまうから。(笑
    [C#という提案]
    --
    rm -rf /bin/laden
  • by argon (3541) on 2001年10月21日 18時12分 (#31276) 日記
    PS/2 + PM か Windows 3.0 のころに GUI vs CUI とか使ってましたね。語呂がいいから?
    貶めるべき対象として、CUI と呼んだのかな?

    CUI と CLI は違うと思ってますし、罫線素片使った画面好きなんですけど、流行らないな。
  • by zeissmania (3689) on 2001年10月21日 18時26分 (#31282)
    >小さいプログラムというのは、過去の古きよき時代の歴史物
    これからは小さくて軽いクラスライブラリの時代でせう (^0^)/
    ああ、そういうクラスライブラリが欲しい、って自分で書けって? (^_^;;;
  • by argon (3541) on 2001年10月21日 18時45分 (#31286) 日記
    短いコードというのは、結果であって目的ではないはず。
    構造化や OOP は複雑なものを適切な粒度にするしくみなので、問題を適切に分割できていれば、コードを把握可能な大きさにとどめることができるでしょう。

    無条件に短ければいいというのも疑問に思います。
    短いコードをシステムとして動かすために組み合わせる過程で、組み合わせの複雑さの問題に直面してしまいます。

    はじめの設計が肝心という当たり前の結論になるのですが。
  • by Anonymous Coward on 2001年10月21日 19時15分 (#31301)

    要するにこのお話は「一般的に言って」ということであって、現場で長くならざるを得ないコードを書く必要のある人には「勝手なこと言ってるよなぁ」というお話ではないかと思います。

    極端に言えば

    「一般的に言えば」人間は長生きしたほうがいいけど、そう言ったところで、いま病気の人とか、今日交通事故に遭った人とか、そういう現実と格闘している最中の人には「なーんにも役に立たない」。

    というのと同次元のお話のような気がしますねぇ。

    筆者は悪い人とも経験のない人とも思わないけど、本文中でご自分でも認めている通り、「いま、現場にいる人」ではない、というだけのことだと思う。

    正直なところ、私も現場にはいない管理者だけど、こういったことは思っていても現場にあまり良い影響を与えないから、まず言わない。一般論なんていう役に立たないものを吐くくらいだったら、黙っていたほうが絶対に良い結果が出ると思う。

    もっと、現場を信頼しなきゃ。管理者なら。

    でも、普通は現場出身の管理者に限って、これ、できないことなんだよね。

  • もともとがあまりにも誤解を招きやすいの表現なのであれげですが、Windows95よりDOSの方が無条件で正しいということを主張したい物と思われますが如何。

    #だれか、Win95の方がDOSより短いと主張されたい方は?

  • import your.useless.java.knowledge.*;

    public void youAreWrong() {
      System.out.println("嘘だろ?");
      youAreWrong();
    }
    --

    There is no spoon.
  • > 元記事ではオブジェクト指向を否定しているが、

    というか、件の記事を読んだ限りでは、どうもこの人の理解は「オブジェクト指向 == 継承」なのではないかと疑わざるを得ませんね。
  • by rug (55) on 2001年10月21日 19時49分 (#31325) 日記
    「Lyeeは無条件で正しい」とか言ってほしかったな。
  • by kusanagi (3927) on 2001年10月21日 20時09分 (#31329)
    単純に値をとると言う概念に縛られすぎ。
    メソッド一つが全体を形作る物じゃないし。

    確かにコードは少なければ少ないほどデバッグ量も少なくなる。
    ただ、そのコードを書くのにはどこまで気にしなくてはならないかという表面に現れるコード以外の部分も多いと思う。

    局所局所がシンプルに全体をまとめ上げると言う手法はオブジェクト云々よりも構造化のほうだと思うんだけれども(笑)
    --
    kusanagi shin
  • >いいたいのはC#はJavaより短くかけるからいい
    言語仕様だけ見れば、C#は改良Javaなんで、的外れとは言えないと思います。
    一々setter, getterを書かなきゃならないJavaより、宣言だけで済んでしまうC#の方が簡略なコードになるのは事実。
    でも言語としては、実行系の実装やライブラリの充実の方が重要でしょうな。特に短いコードを書くなら、ライブラリが充実してるのが一番だし。
    おっと、この記事だとライブラリも一々自分で書けってあるんだっけ (^-^;;;;;;;;;;;;;
  • by SteppingWind (2654) on 2001年10月21日 20時57分 (#31344)

    確かにそうなんですけどね. 現実問題として性能を要求される場合にはコンパイラに任せることは不可能です. なぜかって言えばコンパイラからは見えない条件(例えば配列上のデータの並びの特性とか)が最適化に大きな影響を与えるからです.

    これを解決する手段としては

    • コンパイル時の最適化オプションの指定→ソース単位なので特定のループをピンポイントで最適化するのが難しい
    • ソース内にコンパイラが認識できるヒントを挿入
    という方法が有るのですが, やはり一番確実に動かすのはソースの手展開だったりします.

    ついでにもう一つ長さが性能に直結しない例を挙げると, データベースの操作に使うSQL. こいつはデータベースの構造に合わせた書き方になっているかどうかで性能が数100倍以上変わりますから, 長さなんて殆ど意味を持ちません.

  • by rug (55) on 2001年10月21日 21時08分 (#31347) 日記
    UNIXの精神はまさに、一つの単純な機能しか持たないプログラムを、パイプやシェルで組み合わせて、柔軟で汎用的な処理をしようということですよね。

    ただ、最近は、Winに限らず、Linuxでも、GUIのプログラムはでか過ぎる。

    だからこそ、bonoboなどのcomponent modelが注目を集めているのだと思いますけど。まだ理想には程遠いような気はしますが。
  • by argon (3541) on 2001年10月21日 21時17分 (#31348) 日記
    いやいや、こっちかもしれませんよ。

    「思いどおりにプログラムを書こうと思ったら、趣味でプログラムを書きながら技術解説屋をやるしかない、ということである。」

  • Re:どれが正しい? (スコア:2, すばらしい洞察)

    by takusi (5869) <takusi@gmail.com> on 2001年10月21日 21時38分 (#31356) ホームページ 日記
    やっぱり、Guru Hackerが最高だね。
    Guru Hacker
      % cat
      Hello, world.
    「Hello, world」程度ならプログラムを書くまでもないということでしょう。これはかなり示唆的だと思います。まさにUNIX的ですね。
    --
    rm -rf /bin/laden
  •  やりたい事を簡潔に表現できるのが、良いプログラムであり、それは自然にシンプルになる、そう思います。お約束のたぐいが無いだけで、シンプルになったと思うのは短絡的に過ぎるかと。また、短いのが正しいというのは、コードを最適化した経験がないのだろうか、と疑わせます。
     昔書いた組込み用画像圧縮のコードなんか、そのコードを最適化するために書きなぐったコード群がなければ、何やっているのか数日悩むことになると思います。何もかも定数テーブルとビットシフトに化けてるし。

     仕様を整理してみると、そんなプログラムは必要無い、と結論できる事がままあります。クライアントのやりたい事が理解できると、仕様もシンプルにできます。
     やりたい事を簡潔に表現できるような、操作対象、概念を過不足無く自然に表したクラスライブラリを使い、作り、メンテナンスするのが、簡潔で品質の高いプログラムを書く王道だと思います。

     ただ、自分は組み込み屋なんで、普段は最適化至上っス。速度のためなら、汚いコードも平気で書きます。ただ、仕様はシンプルに保つように努力しています。幸い、ハードも自作なんで……
  • by might (194) on 2001年10月21日 23時32分 (#31387) ホームページ
    いろいろあるようですが、
    「コードを書くからバグが入る」
    というのは絶対的真理では?

    …これも極論?
  • 現実世界は (スコア:2, 興味深い)

    by taz3 (5225) on 2001年10月21日 23時51分 (#31396) 日記

    Larry Wall氏の言だったかと思うのですが(ソースを示せなくて申しわけない),

    現実世界は複雑なのでプログラムが複雑になるのは仕方がない
    というような話があったと思います.だから, プログラムが短くなるということはそのバックグラウンド(Perl スクリプトに対する Perl Core) が複雑になります.要は誰かがプログラムで楽をする・出来るということは他の誰かが複雑なことをやっていることになるのでは?

    # エントロピーは変わらないってか?

    --
    Koichi
  • by kt (4556) on 2001年10月22日 0時01分 (#31399)

    川俣氏が20年前に読んだという本(この話題のソース)って何でしょうね。

    当時、1980年頃といえば構造化プログラミング全盛でしょう。そんな時代にあって「短いプログラムは無条件に正しい」と断言すればちょっとは注目されたかもしれません。しかし、その私はそのような本を知らないのです。単に私の浅学(否定しませんが)のためだけなのか、その本の著者が読者を引き付けるために敢えて大げさな主張をしただけなのか知りたいところです。

  • by deupleix (5370) on 2001年10月22日 0時13分 (#31403)
    ひとつでも条件が設定された瞬間に間違いになる、と。
  • by G7 (3009) on 2001年10月22日 0時15分 (#31404)
    >オールインワンソフト

    そういやUNIXついては、「UNIXという考え方」という本が出てます。

    が、俺としては、この本が言うUNIXのシンプルさってのが、どうにも釈然としませんでした。
    というわけで
    俺の文句を書き連ねたのがこちら(笑)

    また、参考にしたのがGnomeの人の
    Unixをもう少しましなものにしよう
    http://tiki.is.os-omicron.org/?c=v&p=Unix%A4%F2%A4%E2%A4%A6%BE%AF%A4%B7%A4%DE%A4%B7%A4%CA%A4%E2%A4%CE%A4%CB%A4%B7%A4%E8%A4%A6

    色々書いてあるけど一言でいえば、unixが言う「部品化」は、
    処理の共有はともかくとして、状態の共有に無頓着な、
    つまりエディタも作れやしない部品化方式、を
    採用してしまってる、といえると思います。

    これが天下のUNIXかと思うと、ちょっとがっくり。
  • 天に唾を吐く行為 (スコア:2, すばらしい洞察)

    by G7 (3009) on 2001年10月22日 0時56分 (#31423)
    うわ。こりゃ駄目な文章ですね。

    ●gotoの弊害を「数が少なければ大丈夫じゃん」と言ってる辺りが駄目。
    ●「UNIXという考え方」に通じるが、Pipe方式は部品化のうちの一部の側面しか解決しない。
    それだけで諸手を上げて喜ぶとは、その程度で満足している人だ、ということだ。
    半ば偶然の結果だが、GUIソフトのほうが往々にして状態の扱いが旨い、ので
    大勢のユーザーがそっちに流れてる、という面は無視しちゃいかんでしょう?
    ●OOPを使えてない度にいたっては目を覆うばかり。(悪い意味での)爺ほどこういうことをほざいて逃げるんだよな。
    ●OOPが駄目だといってるくせにC#を持ち上げるとは謎すぎ。自分がナニを主張してるか?も理解してないのかな。

    まぁ一般的に「改良されたコード」は正しいのだろう(とーとろじーだな)。
    だが、あるコードを改良してみて、それが以前より長くなるか短くなるかは、神のみぞ知るんでわないのか?
  • 言語の言及すらないので、まずそこから列挙してみるしかないでしょう。当時使われていそうなものというと、

    • COBOL
    • Fortlan
    • Pascal
    • C
    • assembler

    ぐらいでしょうか。

    この中で、Cについてはこんな話を聞いたことがあります。

    文字列をコピーするのに、Cなら
    while ((*p++ = *q++) != '\0');
    と1行書けばよい。Pascalでは1行で書くのは無理だろう。

    これだけなら事実でしょうが、その受け売りでこんなことを言っているとしたらそれこそ帯域の無駄。

    ちなみに、先の話を聞いた時の結びは、

    Cではやりたいことの本質がそのまま書ける。

    でした。ですから、本質の上にガワをかぶせてしまえば、Pascalなら1行で書けることがCでは1行で書けないかも知れません。

  • 49日でお亡くなりになりますな。
  • by brake-handle (5065) on 2001年10月22日 2時37分 (#31441)

    GNOMEやBonoboが目指しているものについては別のコメントにあったリンクで読んでみましたが、どうもわからない点があります。

    まず「状態」が何なのか。ちょっとcomputer scienceをかじっている人なら、Turing machineのヘッダの状態と考えるんでしょうか。もしそうだとすると、Bonoboはcomputer scienceにおける無謀ともいえる挑戦をしています。Bonoboの(機械的な)力で状態を正しく遷移させる、すなわちプログラムを正しく動かそうとしていることになります。プログラムを使ってプログラムが停止するかどうかもわからんのに、どうやってそんなことができるんでしょうか?

    それから、プログラムの実行に関わるあらゆる状態をプログラムの各部分で共有したいのであれば、小さなオブジェクトを結合するようなモデルが本当にふさわしいとは考えられません(状態があちこちのインスタンスに散在するため、状態の一貫性を保つのが難しい。オブジェクトの外側はそんなことを気にしないが、内側では大きなコストを払うことになる)。それはむしろデータベースが解くべき問題と同じであり、巨大なデータモデルに対して各部分が必要なビューを定義するというモデルの方が、より問題の見通しがつきやすいし、実績もあるので納得できるのですが。

  • 個人的に

    while ((*p++ = *q++) != '\0');

    という記法が好きじゃないというか、ん?、これって、qの大きさがpより大きかったらバッファオーバーフローぢゃん。バグだバグ~(勝手に騒ぐ)

    ちゅうかCならstring.hとか使うのが普通だよねえ。ライブラリ無いのかこの処理系は。

  • 現代ならそういわれてもしょうがないですが、これを聞いたのは80年代後半なんです。当時はまだISO Cがなく、規格といえばせいぜいANSIぐらい、それも準拠できていたのは比較的新しい処理系だけという時代でした。Unix上の処理系はかなり苦しんでいました。

    もっとも、DOSで規格への準拠が全くないmaster.libが流行ったことを考えると、ライブラリがあればよいというのも危険ではありますが。

  • by brake-handle (5065) on 2001年10月22日 13時09分 (#31530)

    Turing machineの状態は、厳密には制御部の内部状態でした。ヘッダは状態を持つのではなくてテープ上で左右に移動できます。

    また、Turing machineの変形として、テープを複数本用いるものはあります(テープを1本にまとめることは可能らしい)。が、制御部が複数ある変形Turing machineというのは聞いたことがありません。

  • 実は基礎知識の執筆スタッフだったりするのですが、私もこの解説を見て呆れてしまいました。書いた奴だ。

    とりあえず日曜のうちに執筆スタッフMLには指摘してありますので、いずれ直ると思います。

    --
    "Quidquid latine dictum sit, altum videtur."
  • 確かに、OOPの本質というのは「状況」や「状態」を「プログラム向けの塊」に分解して行く作業ですね。

    従って、表現は難しいかも知れないけど、ふつーのCやアセンブラでもOOPは実現できるので(って言うか自分が設計からやれる時は、ドライバの類とかでもそうするように心がけている)。
    所詮、C++だJavaだクラスだ継承だと言っても表現する道具
    必要な道具を必要な方法で使いやすく使うことが、プログラム書く上での基本だと思うし、ポータビリティやMPU資源消費の類とのバランスは設計段階で考慮すべき(言語の選定も含めて)。

    # Javaは非常に優れたOOP言語ですが、JVMがかむので通常の組み込みでは
    # 主言語にはならないのが、優れているが故に残念です。

    逆に言うと、私がかつてJavaに心酔していて、某OSが乗っている関係でCを使う必要に迫られてJavaの手法を使ったから言うわけではないけど、道具に振り回されてあーだこーだと言うのは意味があるようで、実は無意味な議論なのではないかと思うのですが。
  • こういう考えの人がいるからいつまでたってもプログラムステップ数なんぞで課金されちゃうんだよ。と思った。

  • ああ、それを見て思い出しましたが、旧helix codeの文書の翻訳もありますね。見ればおわかりでしょうが、COMのパクリですよね。まあ、パクるだけの価値はあると思いますが。

    COMについては OLE2のコンセプトが参考になりますかね。
  • >書いた奴だ。

    「書いた奴だ」と書いてたハズなのに……どうして消えてるのだ~

     
    --
    "Quidquid latine dictum sit, altum videtur."
  • by zeissmania (3689) on 2001年10月22日 21時58分 (#31727)
    >C++の例にしても、意味無くメンバが公開されていては
    変数のチェックを一々受け手がしなきゃならんと、トータルとしてステップ数は増えますから、あの指摘は逆にプログラムを複雑にする元ですな。
  • Re:古きよき時代? (スコア:2, すばらしい洞察)

    by brake-handle (5065) on 2001年10月23日 1時39分 (#31818)

    例によって挑発的なボールを投げてくれるんで...

    #もしかして分散Object全体を「無謀」と呼んでいるんですか?

    はい。Turing machineに対する無謀さと、システムプログラムの方法論に対する無謀さの2つがあります。前者はすでに述べたので、後者について。

    システムプログラム、例えばOSやDBMSなどのミドルウェアの開発では、システムの全体像を把握すること、それに基づいてシステムを決定論的に動作させることが伝統的に行われてきています。これは開発者がシステムの各要素の挙動をすべて管理できるという前提の上に成り立っています。

    これに対し、要素を分散させるモデルを取り入れると、その瞬間に管理者は分散した要素の挙動を把握できなくなります。これは管理者をfatal pointにしないという分散化のセールスポイントにはなるものの、システム全体を決定論的に動かすことが不可能になります。どこかにある要素が何か予測がつかないことをやらかす危険性が付きまとうわけです。分散DBはまだいい方です。スキーマがgivenであるため、状態のcoherencyを保証することはまだ可能です。しかし、Bonoboのようにプログラミングモデルにこの問題を持ち込むと、スキーマで縛ることはまず不可能です。だれかがシステム全体を乱すような変なオブジェクトを作らないという保証はありません。

    管理者の見えないところでも要素が自分で動いているとなると、むしろ人間の活動に似せてモデル化する方がまだうまくいきそうです。例えば、人工言語がものを一目見ただけで決定論で力押しできるのと違い、自然言語は統計的処理など、多くのデータの素性を幅広く眺めるやり方をして初めて使いものになったように。少なくとも、伝統的なシステムプログラムの方法論をどこかで捨てる必要はあります。

  • > それに、一般論としても、短いほうが速いとは言えないと思う。

    同意します。一般的に、単純な処理の性能を改善するには、アルゴリズムを複雑にする必要があります。

    でも、ここで言う速いというのは、起動が速いとか、メモリの消費量が少なくてはやいとか、そういう類いのものだと思います。
    --
    rm -rf /bin/laden
  • by gori (3642) on 2001年10月21日 18時09分 (#31274)
    プログラムを短くするとは、プログラムを単純化することでしょう。
    たとえば、1次元のlist構造を実装するのに、後にaddするのと、先頭にaddするのでは、先頭の方が圧倒的に単純化され、コードが短くなります。
    一方、ふつ~(何がふつ~かはおいといて)にリスト構造を考えると、前から順番に並んでいる(topポインタは先頭アイテムを指す)という発想になりがち。
    こういう発想の転換で頭を使うのと、真っ向から複雑なアルゴリズムのコードをデバッグするのではどっちが生産性が高いかは明らか。
    一方で、プログラマの能力はこういう処に現れるという見方をできるかも。
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