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単に3万時間プログラミングしてれば超一流になれるなんて、うらやましい職種ですね。と他業種の方々から批判されてしまいそうですけど。
「職業プログラマーとして3万時間を生き残れた者だけが真のプログラマーと名乗るがよい」という事かな。さっさと管理職になった奴は敗者、でOK?
池江璃花子の努力は絶対裏切らないじゃないけどこういうのって超優秀なプログラマー(になった人たち)がそうなるのにどれだけ時間を要したかを聞いた結果であってじゃあ、だからって、一般の凡人が同じだけ時間かけたら自ずと超優秀なプログラマーに全員なるかって言うとそれはまったく違う話なんじゃないの?水泳の話で言えば、優勝者に聞いたらそりゃ努力は裏切らないとか努力が報われたとかいう話をしがちだけど実際は普遍的な真理としては努力は裏切る場合もあるし報われない場合もあるしプログラムの話で言えば、同じだけの時間をかけても超優秀なプログラマーに必ずしもなれるわけがないだとすれば、この数字に一体何の意味があるんだとむしろその時間数の間どういう努力をしたのかを具体的に尋ねてくれたほうがまだ役に立ちそうではある
池江の件は本人はそんなこと言ってない。単に努力が報われたという感想を述べたら外野が話しずらしていちゃもんつけだだけ。
それから、例え資質があっても努力がなければ開花しないんだよ。それこそやってみなきゃわからないもの。資質がなきゃ努力も無駄だと腐る時点で資質はないんだろうけどさ。
> > 池江璃花子の努力は絶対裏切らないじゃないけど> 池江の件は本人はそんなこと言ってない。> 単に努力が報われたという感想を述べたら外野が話しずらしていちゃもんつけだだけ。
言ってますがな。報道で確認できるだけでもNHK: 【インタビュー動画・全文】池江選手「努力は必ず報われる」 [nhk.or.jp]Number: 「努力は必ず報われる」池江璃花子、復活優勝&五輪内定… 15歳だった“5年前の4月4日”も鮮烈な泳ぎで涙があふれた [bunshun.jp]東スポ: 池江璃花子「努力という定義も難しいな」 “必ず報われる” 発言で物議 [yahoo.co.jp]日刊スポーツ: 池江璃花子選手の「努力は必ず報われる」感動呼ぶ言葉にある意味/為末大学 [nikkansports.com]
いずれをとっても「努力」「必ず」「報われる」の3要素は欠かさず入っているし実際の発言部分を抜き出してみても、上の引用した順に
NHK: 「努力は必ず報われるんだなんていうふうに思いました」Number: 「努力は必ず報われるんだなと思いました」東スポ: 「努力は報われるんだなと思いました」日刊スポーツ: 「『努力は必ず報われると思いました』というコメントがありました」
となっていて、東スポだけは「必ず」が抜けているけれど、NHKの引用からするとそこは意図的にか知らないが抜け落ちたのだろう
結論として、池江璃花子が「努力は必ず報われる」と発言したことは揺るぎない事実だし努力は必ず報われるのならば努力は絶対裏切らないも同義で、言い方の違いに過ぎない「外野が話しずらしていちゃもんつけだだけ」なんてのは失当
> じゃあ、だからって、一般の凡人が同じだけ時間かけたら自ずと超優秀なプログラマーに全員なるかって言うとそれはまったく違う話なんじゃないの?
1万時間の元ネタは『超一流になるのは才能か努力か? [amazon.co.jp]』って本だと思うけど、このタイトルから予想できる通り凡人か超優秀な人になるかは才能じゃなくて練習時間だって話なので、優秀な人が頑張ったから成功したんじゃないって指摘はそもそも前提が違うんですよ。この書評 [note.com]が内容詳しいですが、元ネタでは訓練が適切であったかそうでなかったかがポイント、という結論に至っているので、当然ながらだらだら1万時間プログラミングしてもプロにはなれず、頭をフル回転させるような1万時間を過ごす必要があるというだけかと。
訓練が適切で必要時間かければ誰でも優秀になれるの?そこがポイントなんだけど、やはりそこは持って生まれた能力と言うか天賦の才能が必要で「超優秀なプログラマー」とか「超一流スポーツ選手」になるには適切な訓練と必要な時間だけでは足りない成功者ばかり見ているから内容と時間にしか目が行かない彼(女)らを「天才」とだけ片付けてその努力に目を向けないのも誤りだと言えるが努力(かけた時間)と内容があれば誰でも彼(女)らのようになれるというのも明らかな誤りだろうだって、トップ層は相応の努力を適切に継続してるのだから、そこで差を分けるものはもう持って生まれたもの(か時の運)しかないじゃないその下のレベルの単に「優秀なプログラマー」とか「優秀なスポーツ選手」ならそりゃほぼ誰でもなれるでしょうよ
「この時間数未満では超優秀なプログラマーには絶対成れない」って事でしょ才能がなければ十万時間かも知れないし平均は五万時間だったりするかも知れない
でも凡人が血反吐を吐いて「たった」一万時間努力しても天才クラスから見れば手抜き扱いそもそも「平均的天才」に達するための必要最低限の時限数にすら足りていないということ
「42.195kmを1日3本すら走れないくせに天才になれませんとか甘えてるの?」という話普通の人にはそもそもフルマラソンは走れないとしても、走れない事自体が甘えって事
> 「42.195kmを1日3本すら走れないくせに天才になれませんとか甘えてるの?」
さすがにこれは言い過ぎじゃないでしょうか。1日にフルマラソン3本走ったら、超一流の長距離走選手でも壊れてしまうと思います。
「努力した人は必ず報われる」ではなく「報われた人は必ず努力している」であるように、「一万時間プログラミングすればエキスパートになる」ではなく、「エクスパートは一万時間のプログラミングをしている」なんでしょうなぁ
正しい方法で努力すればいいだけ間違った方法をやってれば100万時間かけてもエキスパートにもなれない
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
だらだらプログラミングしているだけの簡単なお仕事です (スコア:0)
単に3万時間プログラミングしてれば超一流になれるなんて、うらやましい職種ですね。
と他業種の方々から批判されてしまいそうですけど。
「職業プログラマーとして3万時間を生き残れた者だけが真のプログラマーと名乗るがよい」という事かな。
さっさと管理職になった奴は敗者、でOK?
Re:だらだらプログラミングしているだけの簡単なお仕事です (スコア:2, すばらしい洞察)
池江璃花子の努力は絶対裏切らないじゃないけど
こういうのって超優秀なプログラマー(になった人たち)がそうなるのにどれだけ時間を要したかを聞いた結果であって
じゃあ、だからって、一般の凡人が同じだけ時間かけたら自ずと超優秀なプログラマーに全員なるかって言うとそれはまったく違う話なんじゃないの?
水泳の話で言えば、優勝者に聞いたらそりゃ努力は裏切らないとか努力が報われたとかいう話をしがちだけど
実際は普遍的な真理としては努力は裏切る場合もあるし報われない場合もあるし
プログラムの話で言えば、同じだけの時間をかけても超優秀なプログラマーに必ずしもなれるわけがない
だとすれば、この数字に一体何の意味があるんだと
むしろその時間数の間どういう努力をしたのかを具体的に尋ねてくれたほうがまだ役に立ちそうではある
Re: (スコア:0)
池江の件は本人はそんなこと言ってない。
単に努力が報われたという感想を述べたら外野が話しずらしていちゃもんつけだだけ。
それから、例え資質があっても努力がなければ開花しないんだよ。
それこそやってみなきゃわからないもの。
資質がなきゃ努力も無駄だと腐る時点で資質はないんだろうけどさ。
Re:だらだらプログラミングしているだけの簡単なお仕事です (スコア:1)
> > 池江璃花子の努力は絶対裏切らないじゃないけど
> 池江の件は本人はそんなこと言ってない。
> 単に努力が報われたという感想を述べたら外野が話しずらしていちゃもんつけだだけ。
言ってますがな。
報道で確認できるだけでも
NHK: 【インタビュー動画・全文】池江選手「努力は必ず報われる」 [nhk.or.jp]
Number: 「努力は必ず報われる」池江璃花子、復活優勝&五輪内定… 15歳だった“5年前の4月4日”も鮮烈な泳ぎで涙があふれた [bunshun.jp]
東スポ: 池江璃花子「努力という定義も難しいな」 “必ず報われる” 発言で物議 [yahoo.co.jp]
日刊スポーツ: 池江璃花子選手の「努力は必ず報われる」感動呼ぶ言葉にある意味/為末大学 [nikkansports.com]
いずれをとっても「努力」「必ず」「報われる」の3要素は欠かさず入っているし
実際の発言部分を抜き出してみても、上の引用した順に
NHK: 「努力は必ず報われるんだなんていうふうに思いました」
Number: 「努力は必ず報われるんだなと思いました」
東スポ: 「努力は報われるんだなと思いました」
日刊スポーツ: 「『努力は必ず報われると思いました』というコメントがありました」
となっていて、東スポだけは「必ず」が抜けているけれど、NHKの引用からするとそこは意図的にか知らないが抜け落ちたのだろう
結論として、池江璃花子が「努力は必ず報われる」と発言したことは揺るぎない事実だし
努力は必ず報われるのならば努力は絶対裏切らないも同義で、言い方の違いに過ぎない
「外野が話しずらしていちゃもんつけだだけ」なんてのは失当
Re: (スコア:0)
> じゃあ、だからって、一般の凡人が同じだけ時間かけたら自ずと超優秀なプログラマーに全員なるかって言うとそれはまったく違う話なんじゃないの?
1万時間の元ネタは『超一流になるのは才能か努力か? [amazon.co.jp]』って本だと思うけど、このタイトルから予想できる通り凡人か超優秀な人になるかは才能じゃなくて練習時間だって話なので、優秀な人が頑張ったから成功したんじゃないって指摘はそもそも前提が違うんですよ。
この書評 [note.com]が内容詳しいですが、元ネタでは訓練が適切であったかそうでなかったかがポイント、という結論に至っているので、当然ながらだらだら1万時間プログラミングしてもプロにはなれず、頭をフル回転させるような1万時間を過ごす必要があるというだけかと。
Re: (スコア:0)
訓練が適切で必要時間かければ誰でも優秀になれるの?
そこがポイントなんだけど、やはりそこは持って生まれた能力と言うか天賦の才能が必要で
「超優秀なプログラマー」とか「超一流スポーツ選手」になるには適切な訓練と必要な時間だけでは足りない
成功者ばかり見ているから内容と時間にしか目が行かない
彼(女)らを「天才」とだけ片付けてその努力に目を向けないのも誤りだと言えるが
努力(かけた時間)と内容があれば誰でも彼(女)らのようになれるというのも明らかな誤りだろう
だって、トップ層は相応の努力を適切に継続してるのだから、そこで差を分けるものはもう持って生まれたもの(か時の運)しかないじゃない
その下のレベルの単に「優秀なプログラマー」とか「優秀なスポーツ選手」ならそりゃほぼ誰でもなれるでしょうよ
Re: (スコア:0)
「この時間数未満では超優秀なプログラマーには絶対成れない」って事でしょ
才能がなければ十万時間かも知れないし平均は五万時間だったりするかも知れない
でも凡人が血反吐を吐いて「たった」一万時間努力しても天才クラスから見れば手抜き扱い
そもそも「平均的天才」に達するための必要最低限の時限数にすら足りていないということ
「42.195kmを1日3本すら走れないくせに天才になれませんとか甘えてるの?」という話
普通の人にはそもそもフルマラソンは走れないとしても、走れない事自体が甘えって事
Re: (スコア:0)
> 「42.195kmを1日3本すら走れないくせに天才になれませんとか甘えてるの?」
さすがにこれは言い過ぎじゃないでしょうか。
1日にフルマラソン3本走ったら、超一流の長距離走選手でも壊れてしまうと思います。
逆は真ならず (スコア:0)
「努力した人は必ず報われる」ではなく「報われた人は必ず努力している」であるように、
「一万時間プログラミングすればエキスパートになる」ではなく、
「エクスパートは一万時間のプログラミングをしている」なんでしょうなぁ
Re: (スコア:0)
正しい方法で努力すればいいだけ
間違った方法をやってれば100万時間かけてもエキスパートにもなれない
Re:逆は真ならず (スコア:1)