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「筆者はxxと思ってます」ではなく、論理的に文章を理解できる能力や、「xxとおもいましたぁ」的な感想文でなく、考えていることを論理的・客観的に説明できる能力は必要でしょう。現在割り当てられている国語系の科目の時間を変えずにそういったことを教えられるようにすることは可能だと思います。漢文・古文をまず削るべきでしょう。
古文や漢文こそ、論理に基づいた読解力が要求されているのではないかと。
>古文や
中古と分類される時期の、王朝物カテゴリーの小説など、女官の日記など。さらに中世の擬古文なる日記、和歌など。梁塵秘抄の俗謡は言うに及ばず。
空気・世情を読み、敬語の効きの強さを計測しつつ主語(というか行為・思考の主体)を明らかにするという大準備を前提にするならそれほど不賛成にはまわらないのだが、そういった回りくどい条件をつけないなら同意できない。
残りの時代・様式の古文だって、そして漢文だって中学・高校の国語教科書に登場する程度のものはさておき美術の授業や世界史の口絵で登場するものまで含めると論理をかざすだけでははがたたないと思うよ。いかがでしょうか?
// なぞなぞとか判じ物って頭の固い論理一辺倒だとぎゃふん。
良い和歌は本当に伝えたいことは上の句と下の句から推測するものなのに、そういうことをきちんと理解していた国語教師の授業を受けたことは、予備校くらいです。(その講師は現国の講師でしたが)
百人一首の解説本でも表面的な意味だけを説明して終わりという本ばかりですからねえ。百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
>百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
公卿はだいたいみんな官位か官職に見えるんだけど、なんか小野篁だけ特別ななにかがあるの?
百人一首を編纂した藤原定家の意図で、名前が知れている人なのに役職名でわざわざ書いているのは公人として詠んだ歌と判断するべきで十一番歌はこれから島流しになる自分の心境について詠んだ歌ではなく、その島流しの元になった遣唐使として派遣されるのを断ったことについて、リスクに見合った効果が得られなくなってるから遣唐使は廃止するべき、という政治的な意図が込められていると判断するのが妥当です。 遣唐使の歴史を調べるとこの歌による政治的な効果はあったと思えます。
続く十二番歌は僧正遍照の名義になってますが、実は詠まれたのは出家前で、現に古今
なんかトンデモな感じがします。
同じく参議の源等や藤原(二条)雅経も姓じゃなく参議になってるけど、これもすべて「公人として詠んだ歌と判断するべき」なの?公卿はだいたい役職入ってるし、偉い人はなるべく名前を入れないというルールに従っただけに見えるけどなあ。藤原(西園寺)公経に至っては名前部分がカケラもない。
例えば、在原行平を例に取ると、
・全然政治的感じがしない。恋愛ボケした高校生のLINEみたいな内容。・行平自身、たいして政治的に活躍していない。・百人一首では「中納言行平」だが、その歌が読まれたときにはまだ中納言じゃない。
これはどうやって説明するのん?
上で書かれた参議篁(小野篁)でも、流罪になるのが承和五年(838 or 839年)で(この時に詠む)参議に昇るのが承和十四年なので、これもですね。
単純に極官としか思えない。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
読解能力は必要 (スコア:0)
「筆者はxxと思ってます」ではなく、論理的に文章を理解できる能力や、
「xxとおもいましたぁ」的な感想文でなく、考えていることを論理的・客観的に説明できる能力は必要でしょう。
現在割り当てられている国語系の科目の時間を変えずにそういったことを教えられるようにすることは可能だと思います。
漢文・古文をまず削るべきでしょう。
Re: (スコア:1)
古文や漢文こそ、論理に基づいた読解力が要求されているのではないかと。
Re:読解能力は必要 (スコア:2)
>古文や
中古と分類される時期の、王朝物カテゴリーの小説など、女官の日記など。
さらに中世の擬古文なる日記、和歌など。
梁塵秘抄の俗謡は言うに及ばず。
空気・世情を読み、敬語の効きの強さを計測しつつ主語(というか行為・思考の主体)を明らかにするという大準備を前提にするならそれほど不賛成には
まわらないのだが、そういった回りくどい条件をつけないなら同意できない。
残りの時代・様式の古文だって、そして漢文だって
中学・高校の国語教科書に登場する程度のものはさておき
美術の授業や世界史の口絵で登場するものまで含めると
論理をかざすだけでははがたたないと思うよ。いかがでしょうか?
// なぞなぞとか判じ物って頭の固い論理一辺倒だとぎゃふん。
Re: (スコア:0)
良い和歌は本当に伝えたいことは上の句と下の句から推測するものなのに、そういうことをきちんと理解していた国語教師の授業を受けたことは、予備校くらいです。(その講師は現国の講師でしたが)
百人一首の解説本でも表面的な意味だけを説明して終わりという本ばかりですからねえ。
百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
>百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
公卿はだいたいみんな官位か官職に見えるんだけど、なんか小野篁だけ特別ななにかがあるの?
Re: (スコア:0)
百人一首を編纂した藤原定家の意図で、名前が知れている人なのに役職名でわざわざ書いているのは公人として詠んだ歌と判断するべきで
十一番歌はこれから島流しになる自分の心境について詠んだ歌ではなく、その島流しの元になった遣唐使として派遣されるのを断ったことについて、リスクに見合った効果が得られなくなってるから遣唐使は廃止するべき、という政治的な意図が込められていると判断するのが妥当です。 遣唐使の歴史を調べるとこの歌による政治的な効果はあったと思えます。
続く十二番歌は僧正遍照の名義になってますが、実は詠まれたのは出家前で、現に古今
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
なんかトンデモな感じがします。
同じく参議の源等や藤原(二条)雅経も姓じゃなく参議になってるけど、これもすべて「公人として詠んだ歌と判断するべき」なの?
公卿はだいたい役職入ってるし、偉い人はなるべく名前を入れないというルールに従っただけに見えるけどなあ。藤原(西園寺)公経に至っては名前部分がカケラもない。
例えば、在原行平を例に取ると、
・全然政治的感じがしない。恋愛ボケした高校生のLINEみたいな内容。
・行平自身、たいして政治的に活躍していない。
・百人一首では「中納言行平」だが、その歌が読まれたときにはまだ中納言じゃない。
これはどうやって説明するのん?
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
上で書かれた参議篁(小野篁)でも、
流罪になるのが承和五年(838 or 839年)で(この時に詠む)
参議に昇るのが承和十四年なので、これもですね。
単純に極官としか思えない。