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「筆者はxxと思ってます」ではなく、論理的に文章を理解できる能力や、「xxとおもいましたぁ」的な感想文でなく、考えていることを論理的・客観的に説明できる能力は必要でしょう。現在割り当てられている国語系の科目の時間を変えずにそういったことを教えられるようにすることは可能だと思います。漢文・古文をまず削るべきでしょう。
古文や漢文こそ、論理に基づいた読解力が要求されているのではないかと。
>古文や
中古と分類される時期の、王朝物カテゴリーの小説など、女官の日記など。さらに中世の擬古文なる日記、和歌など。梁塵秘抄の俗謡は言うに及ばず。
空気・世情を読み、敬語の効きの強さを計測しつつ主語(というか行為・思考の主体)を明らかにするという大準備を前提にするならそれほど不賛成にはまわらないのだが、そういった回りくどい条件をつけないなら同意できない。
残りの時代・様式の古文だって、そして漢文だって中学・高校の国語教科書に登場する程度のものはさておき美術の授業や世界史の口絵で登場するものまで含めると論理をかざすだけでははがたたないと思うよ。いかがでしょうか?
// なぞなぞとか判じ物って頭の固い論理一辺倒だとぎゃふん。
良い和歌は本当に伝えたいことは上の句と下の句から推測するものなのに、そういうことをきちんと理解していた国語教師の授業を受けたことは、予備校くらいです。(その講師は現国の講師でしたが)
百人一首の解説本でも表面的な意味だけを説明して終わりという本ばかりですからねえ。百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
>百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
公卿はだいたいみんな官位か官職に見えるんだけど、なんか小野篁だけ特別ななにかがあるの?
百人一首を編纂した藤原定家の意図で、名前が知れている人なのに役職名でわざわざ書いているのは公人として詠んだ歌と判断するべきで十一番歌はこれから島流しになる自分の心境について詠んだ歌ではなく、その島流しの元になった遣唐使として派遣されるのを断ったことについて、リスクに見合った効果が得られなくなってるから遣唐使は廃止するべき、という政治的な意図が込められていると判断するのが妥当です。 遣唐使の歴史を調べるとこの歌による政治的な効果はあったと思えます。
続く十二番歌は僧正遍照の名義になってますが、実は詠まれたのは出家前で、現に古今
なんかトンデモな感じがします。
同じく参議の源等や藤原(二条)雅経も姓じゃなく参議になってるけど、これもすべて「公人として詠んだ歌と判断するべき」なの?公卿はだいたい役職入ってるし、偉い人はなるべく名前を入れないというルールに従っただけに見えるけどなあ。藤原(西園寺)公経に至っては名前部分がカケラもない。
例えば、在原行平を例に取ると、
・全然政治的感じがしない。恋愛ボケした高校生のLINEみたいな内容。・行平自身、たいして政治的に活躍していない。・百人一首では「中納言行平」だが、その歌が読まれたときにはまだ中納言じゃない。
これはどうやって説明するのん?
上で書かれた参議篁(小野篁)でも、流罪になるのが承和五年(838 or 839年)で(この時に詠む)参議に昇るのが承和十四年なので、これもですね。
単純に極官としか思えない。
そう迄議論を誘導して、教科書体で記述された古文・漢文を義務教育~高等教育中に残す展開に持って行く必要などないだろ。論理文書読解・記述は現代国語文で充分学習可能だ。
実は、こういうツッコミを期待しておりました。
私は、古文や漢文は日本人のアイデンティティとして、読み物として義務教育で取り上げる価値があると思いますが、高速で正確な読解は不要ではないかと思います。仰るとおり、現代文でやれば良い。なんだかねじれてますね。
おそらく、問題の根底は大学受験で古文・漢文の配点が高いことが問題だと思います。受験科目としての難易度を確保するためにこういった専門的な領分まで学習範囲に含んでいるのではないかと思います。
ゼロベースで単位数と授業時間を見直せという強硬論でなければ賛成します。ただ、あなた (#3062106) は漢文・古文という義務教育終了後により多くの時間を割いている課目を槍玉に挙げているが、それはためにする論理展開であって益少なく害ばかりが目立つ。
むしろ小学校中学校教育課程の授業や課外の宿題で読書感想文などというものに時間を割くことを今後排除して報告文や小論文を書くようにしむければよい。
国語を日本語と文学に分離すべきかもなあ。漢文・古文の読解や、小説を書いたり、詩を作ったりといった文学面は、中学以上なら別の強化にすべきだろうなあ。社会の需要からすると、1) 資料を効率よく読解する能力。2) 報告書を適切に作成する能力。3) 会話によるコミュニケーション能力。の3つが大切であるのだが、文学的側面ばかりが重視されて、大学入学後や、社会人になってから苦労することになっている。
まあ、資料を効率よく読解する能力を鍛えるための道具として、漢文・古文の読解を行うというのであればそれなりに意味があるかもしれないが、読書感想文や文学作品の制作にはあまり力を入れるべきではなかろう。
だから、社会人として必須の契約文(大抵の人は生涯に保険の一つや二つ位契約するでしょ)や法律文(法律と無縁で人生を終える人は稀でしょう)の解読能力を、漢文・古文・筆者はxxと思ってます(しかも著者に否定される事も少なくない)より先に、義務・高等教育で教えるべきでしょ。国語教育関係者って、基本的に児童・生徒の人生を蔑ろに考えてるのよ。
騙される養分がいなくなったら搾取する既得権益が失われるからやるわけがない
それは社会科や公民でやったほうがいい。
実社会に出る頃には変わっているかも知れない現行制度の内容は社会科や公民でやったほうが良いだろうが、制度が如何に変わろうとも通用する契約文や法律文等の論理文を正しく読解する能力は国語科の範疇である。しかも教育技術上、試験問題作成も評価も容易(著者に否定される事は稀)だが、ただ単に国語科教育関係者の好みの内容ではないだけ。しかもこの論理文の読解能力は、プログラミングの大前提である。
全員底上げするという目標を早い時点で断念する勇気がある組織であれば探偵ごっこクラブ、法律家ごっこクラブなどという自由参加の部活形式でやる気のある希望者だけ伸ばしてやるという反則技も使えるのではないだろうか?
提示されてる文章の意図を正確に読み取ることは、別に社会科に限った話ではなく、数学や理科全般に言えることその基本となるのが国語法令やそれに基づく建築とか電力といった技術的な基準、指針なども 文化庁のガイドライン [bunka.go.jp]に沿って記述されているに過ぎない法令が小難しく感じるのはその通りだけど、基本的な部分は非常に判りやすい複雑と感じるのは、法の抜け道を潰すべく逆・裏・対偶・真偽を駆使した文章になっているからミッションクリティカルなプ
> 提示されてる文章の意図を正確に読み取ることは、別に社会科に限った話ではなく、数学や理科全般に言えること> その基本となるのが国語
みんな「国語」という科目に幻想持ちすぎじゃないですかね。私は逆に、正確な読解と文章作成は国語から外して、共通科目あるいは国語以外の各教科内で実施し、国語は大きく縮小して文学史と古文・漢文に特化させるほうがいいと思うのですが。
>国語は大きく縮小して文学史と古文・漢文に特化させるほうがいいと思うのですが。
えええ、それは中学なら「社会」、高校なら「日本史」(一部「世界史」)に含めるべきでは。さらに言えば、そこにおける「漢文」は、例えば孔子の言った文章を音読するよりその現代てきエッセンス(と後代へn影響)を理解するほうが大事なわけで、今の「国語ー漢文」とは違う授業だ。
これを「社会」の授業でやれば、その位置づけはわかりやすいが、「国語」の授業でやれば「これなんの役にたつの?」って生徒の疑問が再提起だ。
「漢文」を「社会」に結びつける理由が解らない。「漢文」を結びつけるなら「国語」しかないでしょう。
#あくまでも“歴史的なもの”って事にしてしまいたいのかな。#そういう考え方こそどうかと思うけど。
あいうえおは、どの科目で教えるんですか?
もうどこで見たかも定かではないんですが、法律文書にも簡潔なものと構文が崩れているものがあると見た記憶があります
国語に限らないよ。小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?それが先生たちの頭に染み付いちゃってて、学校は社会とは別の世界で、お互い役に立ってはいけないんだとでもいう分断が起こっていると思う。
お忘れかもしれませんが教師が児童生徒に何を教えるかというのは教師ではなく国家が決めます。
国語に限らないよ。小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?
あなたが通った学校ではそうだったのかもしれませんが私が通った学校ではそんなことはありませんでした。労働法についての授業の時には今日教える知識を社会に出た時に使わずに済んだらいいねとかそんなことを言ってた気はしますが。
#3062113で「基本的に児童・生徒の人生を蔑ろに考えてる国語教育関係者」とは、只の国語教師・各教育委員会・教科書会社のみならず、小中高校の国語科に於いて古文・漢文を教育する事を選択し、法律文・契約文等の論理性の高い文書読解を排除している、文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会以下の国語科担当一切や、文部科学省初等中等教育局以下の国語科担当一切も含んでいる。
なぜ法律文・契約文にこだわるのか解らないな。どうしても教えろと言うなら、あなたが憎んでいるようにも思われる古文・漢文とどちらか選択させて、勉強したい奴だけが教わるくらいで良い。ただし、それは高校生相手ならばの話であって、小中学校では法律文も契約文も学ぶ必要の無いものでしょう。
#3062113に記述された様に、中卒(高卒)で社会に出る人間でも、保険等の契約書や法律と無縁に一生を送る事は稀である。中卒(高卒)で社会に出る人間にでも、保険等の契約書や法律の読解を義務教育内で教える事は国家の義務であり、それを放棄して和歌だ古文だ漢文教育だに現(うつつ)を抜かす国語教育関係者は、国家・国民に対する義務を蔑ろにし趣味に走る許し難い輩共である。一応高等教育の高等学校で和歌だ古文だ漢文だを教えたいのなら、契約文や法律文等の現代国語論理文課程を終えてからにしろ。
で、アンタ=#3063307は、和歌・古文・漢文と、英語・プログラミングと、どっちの教育を優先すべきと考える?
>国語に限らないよ。小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?
そんな狂った教育は聞いた事が無いですね。
小中高と公立校で学びましたが、その中で> 小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?そんなことを言われた記憶はありませんが。数学なんて社会に出てから使わないと言っている生徒・大人はいたような気がしますが。
理系でも上に行くほど、論文の読み書き能力は重要になるからねえ。ところで、いわゆるSNSで使われるような若者語の読解力はどうなのだろうか。中高年も勉強が必要だよねえ
では、若者も会社用語を勉強して、解読能力をあげてください。入社してから、メール文の打ち方を教えるのとか面倒くさい。
さ乱れであって五月雨は誤字だとか、…であって、、、じゃないとか、もう何度言ったことやら。
> さ乱れであって五月雨は誤字そうなんですか?用件を細切れで伝える時とか「五月雨式になって申し訳ございません」とか使ってました。
漢文は国語ではありません中国語です。という揚げ足取りはおいておいて日本でも説明する訓練は行っています。ただしその訓練は国語ではなく理科を通じて施します。まあ論理学を教えるのがいいんでしょうね。さらに言えば時間割を柔軟にして半年だけの科目や三ヶ月だけの科目を作るのが良いのかもしれない。
中「国語」なのでは?
いや素直に日本語なんですよ。中国語風記述の日本語処理系統で、それを流用して中国語を読む事にも使用したり、中国語を扱う人間の助けになったりとしたってだけで。
漢文は国語ではありません中国語です。
同意しかねる。漢文は国語(中国語の日本語翻訳文&日本語の漢字による記述法)であって中国語ではない。
義務教育で国語っていったら古文+漢文+現代文でしょ
お馬鹿な子が通う学校では日本語に訳したものを教材としますが一般的な学校ではそうではない。最終的には白文に返り点を打つ、白文から文章の内容を読み取るという技術を求められる。大体教材も漢詩や故事成語が中心で日本人が書いたものはまれ。
漢字のみで記述された文語体中国語文を、白文として扱おうと、符号(返り点)・送り仮名等を追加して日本語の語順で読もうと、日本語として読んでいるのであって、つまりは和訳文=国語に過ぎない。日本に漢字が導入され、万葉仮名類が開発されるまでは、漢文で日本語を記述していたし、その後仮名が発明された後でも、公文書等漢文で日本語を記述する事=国語の一種は多かった様に聞く。(但しこの日本語漢文記述書が現代の義務~高等学校の教科書に出て来る事は稀ではある)
大体教材も漢詩や故事成語が中心で日本人が書いたものはまれ。
それでも、当時の中国語~現代中国語で読まず、日本語にして読む場合は、白文をリアルタイムで処理しようと、全て国語である。
いやそもそも中国語じゃないし
これに一番適してるのが、センター試験の国語です。
高校の国語では出題者や著者の意図をくみ取る必要があったり、出題者自身の思い込みがあるので難しい。センター試験の国語は、正解/不正解を確実に判定する必要があるため、読解能力と論理学だけで正解を出せるようにできています。
というその文章自体が「と思います」の感想文。なんだか19世紀後半くらいの知識で止まってませんか。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
読解能力は必要 (スコア:0)
「筆者はxxと思ってます」ではなく、論理的に文章を理解できる能力や、
「xxとおもいましたぁ」的な感想文でなく、考えていることを論理的・客観的に説明できる能力は必要でしょう。
現在割り当てられている国語系の科目の時間を変えずにそういったことを教えられるようにすることは可能だと思います。
漢文・古文をまず削るべきでしょう。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
古文や漢文こそ、論理に基づいた読解力が要求されているのではないかと。
Re:読解能力は必要 (スコア:2)
>古文や
中古と分類される時期の、王朝物カテゴリーの小説など、女官の日記など。
さらに中世の擬古文なる日記、和歌など。
梁塵秘抄の俗謡は言うに及ばず。
空気・世情を読み、敬語の効きの強さを計測しつつ主語(というか行為・思考の主体)を明らかにするという大準備を前提にするならそれほど不賛成には
まわらないのだが、そういった回りくどい条件をつけないなら同意できない。
残りの時代・様式の古文だって、そして漢文だって
中学・高校の国語教科書に登場する程度のものはさておき
美術の授業や世界史の口絵で登場するものまで含めると
論理をかざすだけでははがたたないと思うよ。いかがでしょうか?
// なぞなぞとか判じ物って頭の固い論理一辺倒だとぎゃふん。
Re: (スコア:0)
良い和歌は本当に伝えたいことは上の句と下の句から推測するものなのに、そういうことをきちんと理解していた国語教師の授業を受けたことは、予備校くらいです。(その講師は現国の講師でしたが)
百人一首の解説本でも表面的な意味だけを説明して終わりという本ばかりですからねえ。
百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
>百人一首なんて読人の名前が小野篁じゃなくて役職名の参議篁になってるのはなぜ?という所にも意味を見出さないと内容の理解なんて出来ないのに。
公卿はだいたいみんな官位か官職に見えるんだけど、なんか小野篁だけ特別ななにかがあるの?
Re: (スコア:0)
百人一首を編纂した藤原定家の意図で、名前が知れている人なのに役職名でわざわざ書いているのは公人として詠んだ歌と判断するべきで
十一番歌はこれから島流しになる自分の心境について詠んだ歌ではなく、その島流しの元になった遣唐使として派遣されるのを断ったことについて、リスクに見合った効果が得られなくなってるから遣唐使は廃止するべき、という政治的な意図が込められていると判断するのが妥当です。 遣唐使の歴史を調べるとこの歌による政治的な効果はあったと思えます。
続く十二番歌は僧正遍照の名義になってますが、実は詠まれたのは出家前で、現に古今
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
なんかトンデモな感じがします。
同じく参議の源等や藤原(二条)雅経も姓じゃなく参議になってるけど、これもすべて「公人として詠んだ歌と判断するべき」なの?
公卿はだいたい役職入ってるし、偉い人はなるべく名前を入れないというルールに従っただけに見えるけどなあ。藤原(西園寺)公経に至っては名前部分がカケラもない。
例えば、在原行平を例に取ると、
・全然政治的感じがしない。恋愛ボケした高校生のLINEみたいな内容。
・行平自身、たいして政治的に活躍していない。
・百人一首では「中納言行平」だが、その歌が読まれたときにはまだ中納言じゃない。
これはどうやって説明するのん?
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
上で書かれた参議篁(小野篁)でも、
流罪になるのが承和五年(838 or 839年)で(この時に詠む)
参議に昇るのが承和十四年なので、これもですね。
単純に極官としか思えない。
Re: (スコア:0)
古文や漢文こそ、論理に基づいた読解力が要求されているのではないかと。
そう迄議論を誘導して、教科書体で記述された古文・漢文を義務教育~高等教育中に残す展開に持って行く必要などないだろ。
論理文書読解・記述は現代国語文で充分学習可能だ。
Re:読解能力は必要 (スコア:2)
そう迄議論を誘導して、教科書体で記述された古文・漢文を義務教育~高等教育中に残す展開に持って行く必要などないだろ。
論理文書読解・記述は現代国語文で充分学習可能だ。
実は、こういうツッコミを期待しておりました。
私は、古文や漢文は日本人のアイデンティティとして、
読み物として義務教育で取り上げる価値があると思いますが、
高速で正確な読解は不要ではないかと思います。
仰るとおり、現代文でやれば良い。
なんだかねじれてますね。
おそらく、問題の根底は大学受験で
古文・漢文の配点が高いことが問題だと思います。
受験科目としての難易度を確保するために
こういった専門的な領分まで学習範囲に
含んでいるのではないかと思います。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
ゼロベースで単位数と授業時間を見直せという強硬論でなければ賛成します。
ただ、あなた (#3062106) は漢文・古文という義務教育終了後により多くの
時間を割いている課目を槍玉に挙げているが、それはためにする論理展開
であって益少なく害ばかりが目立つ。
むしろ小学校中学校教育課程の授業や課外の宿題で読書感想文などというもの
に時間を割くことを今後排除して報告文や小論文を書くようにしむければよい。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
国語を日本語と文学に分離すべきかもなあ。
漢文・古文の読解や、小説を書いたり、詩を作ったりといった文学面は、中学以上なら別の強化にすべきだろうなあ。
社会の需要からすると、
1) 資料を効率よく読解する能力。
2) 報告書を適切に作成する能力。
3) 会話によるコミュニケーション能力。
の3つが大切であるのだが、文学的側面ばかりが重視されて、大学入学後や、社会人になってから苦労することになっている。
まあ、資料を効率よく読解する能力を鍛えるための道具として、漢文・古文の読解を行うというのであればそれなりに意味があるかもしれないが、読書感想文や文学作品の制作にはあまり力を入れるべきではなかろう。
Re: (スコア:0)
だから、社会人として必須の契約文(大抵の人は生涯に保険の一つや二つ位契約するでしょ)や法律文(法律と無縁で人生を終える人は稀でしょう)の解読能力を、漢文・古文・筆者はxxと思ってます(しかも著者に否定される事も少なくない)より先に、義務・高等教育で教えるべきでしょ。
国語教育関係者って、基本的に児童・生徒の人生を蔑ろに考えてるのよ。
Re: (スコア:0)
騙される養分がいなくなったら搾取する既得権益が失われるからやるわけがない
Re: (スコア:0)
それは社会科や公民でやったほうがいい。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
実社会に出る頃には変わっているかも知れない現行制度の内容は社会科や公民でやったほうが良いだろうが、制度が如何に変わろうとも通用する契約文や法律文等の論理文を正しく読解する能力は国語科の範疇である。
しかも教育技術上、試験問題作成も評価も容易(著者に否定される事は稀)だが、ただ単に国語科教育関係者の好みの内容ではないだけ。
しかもこの論理文の読解能力は、プログラミングの大前提である。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
全員底上げするという目標を早い時点で断念する勇気がある組織であれば
探偵ごっこクラブ、法律家ごっこクラブなどという自由参加の部活形式で
やる気のある希望者だけ伸ばしてやるという反則技も使えるのではないだろうか?
Re: (スコア:0)
提示されてる文章の意図を正確に読み取ることは、別に社会科に限った話ではなく、数学や理科全般に言えること
その基本となるのが国語
法令やそれに基づく建築とか電力といった技術的な基準、指針なども 文化庁のガイドライン [bunka.go.jp]に沿って記述されているに過ぎない
法令が小難しく感じるのはその通りだけど、基本的な部分は非常に判りやすい
複雑と感じるのは、法の抜け道を潰すべく逆・裏・対偶・真偽を駆使した文章になっているから
ミッションクリティカルなプ
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
> 提示されてる文章の意図を正確に読み取ることは、別に社会科に限った話ではなく、数学や理科全般に言えること
> その基本となるのが国語
みんな「国語」という科目に幻想持ちすぎじゃないですかね。
私は逆に、正確な読解と文章作成は国語から外して、共通科目あるいは国語以外の各教科内で実施し、国語は大きく縮小して文学史と古文・漢文に特化させるほうがいいと思うのですが。
Re: (スコア:0)
>国語は大きく縮小して文学史と古文・漢文に特化させるほうがいいと思うのですが。
えええ、それは中学なら「社会」、高校なら「日本史」(一部「世界史」)に含めるべきでは。
さらに言えば、そこにおける「漢文」は、例えば孔子の言った文章を音読するより
その現代てきエッセンス(と後代へn影響)を理解するほうが大事なわけで、今の「国語ー漢文」とは違う授業だ。
これを「社会」の授業でやれば、その位置づけはわかりやすいが、
「国語」の授業でやれば「これなんの役にたつの?」って生徒の疑問が再提起だ。
Re: (スコア:0)
「漢文」を「社会」に結びつける理由が解らない。
「漢文」を結びつけるなら「国語」しかないでしょう。
#あくまでも“歴史的なもの”って事にしてしまいたいのかな。
#そういう考え方こそどうかと思うけど。
Re: (スコア:0)
あいうえおは、どの科目で教えるんですか?
Re: (スコア:0)
もうどこで見たかも定かではないんですが、法律文書にも簡潔なものと構文が崩れているものがあると見た記憶があります
Re: (スコア:0)
国語に限らないよ。小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?
それが先生たちの頭に染み付いちゃってて、学校は社会とは別の世界で、お互い役に立ってはいけないんだとでもいう分断が起こっていると思う。
Re: (スコア:0)
お忘れかもしれませんが教師が児童生徒に何を教えるかというのは教師ではなく国家が決めます。
国語に限らないよ。小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?
あなたが通った学校ではそうだったのかもしれませんが私が通った学校ではそんなことはありませんでした。
労働法についての授業の時には今日教える知識を社会に出た時に使わずに済んだらいいねとかそんなことを言ってた気はしますが。
Re: (スコア:0)
お忘れかもしれませんが教師が児童生徒に何を教えるかというのは教師ではなく国家が決めます。
#3062113で「基本的に児童・生徒の人生を蔑ろに考えてる国語教育関係者」とは、只の国語教師・各教育委員会・教科書会社のみならず、小中高校の国語科に於いて古文・漢文を教育する事を選択し、法律文・契約文等の論理性の高い文書読解を排除している、文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会以下の国語科担当一切や、文部科学省初等中等教育局以下の国語科担当一切も含んでいる。
Re: (スコア:0)
なぜ法律文・契約文にこだわるのか解らないな。
どうしても教えろと言うなら、あなたが憎んでいるようにも思われる古文・漢文とどちらか選択させて、勉強したい奴だけが教わるくらいで良い。
ただし、それは高校生相手ならばの話であって、小中学校では法律文も契約文も学ぶ必要の無いものでしょう。
Re: (スコア:0)
#3062113に記述された様に、中卒(高卒)で社会に出る人間でも、保険等の契約書や法律と無縁に一生を送る事は稀である。
中卒(高卒)で社会に出る人間にでも、保険等の契約書や法律の読解を義務教育内で教える事は国家の義務であり、それを放棄して和歌だ古文だ漢文教育だに現(うつつ)を抜かす国語教育関係者は、国家・国民に対する義務を蔑ろにし趣味に走る許し難い輩共である。
一応高等教育の高等学校で和歌だ古文だ漢文だを教えたいのなら、契約文や法律文等の現代国語論理文課程を終えてからにしろ。
で、アンタ=#3063307は、和歌・古文・漢文と、英語・プログラミングと、どっちの教育を優先すべきと考える?
Re: (スコア:0)
>国語に限らないよ。小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?
そんな狂った教育は聞いた事が無いですね。
Re: (スコア:0)
小中高と公立校で学びましたが、その中で
> 小中高校はどの教科も「社会では役に立たない」ということを常に前置きして話を始めない?
そんなことを言われた記憶はありませんが。
数学なんて社会に出てから使わないと言っている生徒・大人はいたような気がしますが。
Re: (スコア:0)
理系でも上に行くほど、論文の読み書き能力は重要になるからねえ。ところで、いわゆるSNSで使われるような若者語の読解力はどうなのだろうか。中高年も勉強が必要だよねえ
Re: (スコア:0)
では、若者も会社用語を勉強して、解読能力をあげてください。
入社してから、メール文の打ち方を教えるのとか面倒くさい。
さ乱れであって五月雨は誤字だとか、…であって、、、じゃないとか、もう何度言ったことやら。
Re: (スコア:0)
> さ乱れであって五月雨は誤字
そうなんですか?
用件を細切れで伝える時とか「五月雨式になって申し訳ございません」とか使ってました。
Re: (スコア:0)
漢文は国語ではありません中国語です。
という揚げ足取りはおいておいて日本でも説明する訓練は行っています。ただしその訓練は国語ではなく理科を通じて施します。
まあ論理学を教えるのがいいんでしょうね。さらに言えば時間割を柔軟にして半年だけの科目や三ヶ月だけの科目を作るのが良いのかもしれない。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
中「国語」なのでは?
Re: (スコア:0)
いや素直に日本語なんですよ。
中国語風記述の日本語処理系統で、それを流用して中国語を読む事にも使用したり、中国語を扱う人間の助けになったりとしたってだけで。
Re: (スコア:0)
漢文は国語ではありません中国語です。
同意しかねる。
漢文は国語(中国語の日本語翻訳文&日本語の漢字による記述法)であって中国語ではない。
Re: (スコア:0)
義務教育で国語っていったら古文+漢文+現代文でしょ
Re: (スコア:0)
お馬鹿な子が通う学校では日本語に訳したものを教材としますが一般的な学校ではそうではない。最終的には白文に返り点を打つ、白文から文章の内容を読み取るという技術を求められる。
大体教材も漢詩や故事成語が中心で日本人が書いたものはまれ。
Re: (スコア:0)
漢字のみで記述された文語体中国語文を、白文として扱おうと、符号(返り点)・送り仮名等を追加して日本語の語順で読もうと、日本語として読んでいるのであって、つまりは和訳文=国語に過ぎない。
日本に漢字が導入され、万葉仮名類が開発されるまでは、漢文で日本語を記述していたし、その後仮名が発明された後でも、公文書等漢文で日本語を記述する事=国語の一種は多かった様に聞く。(但しこの日本語漢文記述書が現代の義務~高等学校の教科書に出て来る事は稀ではある)
大体教材も漢詩や故事成語が中心で日本人が書いたものはまれ。
それでも、当時の中国語~現代中国語で読まず、日本語にして読む場合は、白文をリアルタイムで処理しようと、全て国語である。
Re: (スコア:0)
いやそもそも中国語じゃないし
Re: (スコア:0)
これに一番適してるのが、センター試験の国語です。
高校の国語では出題者や著者の意図をくみ取る必要があったり、出題者自身の思い込みがあるので難しい。
センター試験の国語は、正解/不正解を確実に判定する必要があるため、読解能力と論理学だけで正解を出せるようにできています。
Re:読解能力は必要 (スコア:1)
Re: (スコア:0)
というその文章自体が「と思います」の感想文。
なんだか19世紀後半くらいの知識で止まってませんか。