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出版社のページで 1 章を試し読みできるので読んでみた。まあ読む前からわかっていた気もするけれど、本書は、「5・7・5・7・7 バイトの機械語でプログラムを書く」と言われて、面白そうと思う人向けに書かれている。「5・7・5・7・7 バイトの機械語でプログラムを書く」という本書の目的自体に共感できない人は、それ以上読んでも無駄っぽい。
以下自分語り。残念ながら僕はこのコンセプトに共感できず、本の内容は独りよがりだとしか思えなかった。変なプログラミング自体は嫌いではないつもりだけど、プログラミングに関して、理由もなく規則を設けておいて、「規則を守っているからすごい」という方向性は、僕はどうも好きじゃない。そんな風にすごさの基準を人工的に作らなくても、世の中にすごいプログラムはたくさんあるのに、と思ってしまう。
短歌の 5・7・5・7・7 にも必然性はありませんが、数字に理由というか意味はあるのです。日本語には何となく 4 拍子のリズムがあるので、 5・7・5・7・7 は音読したときに語呂が良いです。例えば 6・10・6・10・10 では同じような語呂の良さは生じません。 (短歌の存在も日本語のリズムに影響を与えているでしょうから、鶏が先か卵が先かの問題はあるかもしれませんが。)
一方、この「アセンブラ短歌」は、そもそも機械語を音読するわけではないので日本語が持つ 4 拍子のリズムは関係ありません。仮に音読するとしても、 1 バイトを音読したら 1 拍にはなりませんし。なので、短歌の表面だけ真似しているけれど、なぜ 5・7・5・7・7 が良いのかという理由の部分はなくなっていて、規則のための規則に矮小化されてしまっているという印象を受けました。
まあ、そんな風に共感できない理由を考えても仕方なくて、趣味が合わないものは趣味が合わないというだけかもしれませんが。 IOCCC とか polyglot とかは必然性がなくても好きですし…。
僕は自分がアセンブラ短歌が面白いと思わない理由を説明しただけで、他の人が面白いと思う分には構いません。それを「自分の価値観で否定」していると言われると、ちょっとね。
独りよがりって、良くないものを本人だけが良いって思い込んでるって意味ですよね。少なくとも良さを否定してると思うのですが。
「ちょっとね」とか「思うのですが」じゃなくて、問題だと思うなら何が問題かはっきり書いてくださいよ。
僕は前述の通り、「アセンブラ短歌」は僕にとってつまらないと感じています。すなわち、僕は「アセンブラ短歌」の僕にとっての「面白さ」「良さ」を否定しています。当然、自分の価値観でです。そのことに何か問題があるとは思いません。
僕は他の人が僕と同じように考えるべきだなんて言っていないし、少しも思っていません。すなわち、「アセンブラ短歌」の他の人にとっての「面白さ」「良さ」を否定する気はありません。
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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
非対象読者 (スコア:2)
出版社のページで 1 章を試し読みできるので読んでみた。まあ読む前からわかっていた気もするけれど、本書は、「5・7・5・7・7 バイトの機械語でプログラムを書く」と言われて、面白そうと思う人向けに書かれている。「5・7・5・7・7 バイトの機械語でプログラムを書く」という本書の目的自体に共感できない人は、それ以上読んでも無駄っぽい。
以下自分語り。残念ながら僕はこのコンセプトに共感できず、本の内容は独りよがりだとしか思えなかった。変なプログラミング自体は嫌いではないつもりだけど、プログラミングに関して、理由もなく規則を設けておいて、「規則を守っているからすごい」という方向性は、僕はどうも好きじゃない。そんな風にすごさの基準を人工的に作らなくても、世の中にすごいプログラムはたくさんあるのに、と思ってしまう。
Re: (スコア:0)
五・七・五・七・七という文字数には「どうしてもその文字数に制限しなければ伝達できない」なんていう制約があるわけがない。ただリズムの美しさから「そう決めた」だけでしょう。その決められた制約の中でいかに表現するか。
そして、「短歌よりも詩のほうが面白いじゃないか」と思う人もいるかもしれない。それと同じでしょう。
ま、プログラムの場合、昔のマイコンでメモリの制約があって、工夫しまくってギリギリ256バイトに納められたソフトを見て「すごい」って思いましたけどね。それは「理由のある規則」ですが。
Re:非対象読者 (スコア:2)
短歌の 5・7・5・7・7 にも必然性はありませんが、数字に理由というか意味はあるのです。日本語には何となく 4 拍子のリズムがあるので、 5・7・5・7・7 は音読したときに語呂が良いです。例えば 6・10・6・10・10 では同じような語呂の良さは生じません。 (短歌の存在も日本語のリズムに影響を与えているでしょうから、鶏が先か卵が先かの問題はあるかもしれませんが。)
一方、この「アセンブラ短歌」は、そもそも機械語を音読するわけではないので日本語が持つ 4 拍子のリズムは関係ありません。仮に音読するとしても、 1 バイトを音読したら 1 拍にはなりませんし。なので、短歌の表面だけ真似しているけれど、なぜ 5・7・5・7・7 が良いのかという理由の部分はなくなっていて、規則のための規則に矮小化されてしまっているという印象を受けました。
まあ、そんな風に共感できない理由を考えても仕方なくて、趣味が合わないものは趣味が合わないというだけかもしれませんが。 IOCCC とか polyglot とかは必然性がなくても好きですし…。
Re: (スコア:0)
そんなものの、何が面白いんですか?
なんて言っちゃいけないよね。
面白いというものを楽しんでいればそれでいいじゃん。それを自分の価値観で否定するのはちょっとね。「面白く無さ」を指摘しちゃいけないとは言わないけど。
Re:非対象読者 (スコア:2)
僕は自分がアセンブラ短歌が面白いと思わない理由を説明しただけで、他の人が面白いと思う分には構いません。それを「自分の価値観で否定」していると言われると、ちょっとね。
Re: (スコア:0)
独りよがりって、良くないものを本人だけが良いって思い込んでるって意味ですよね。
少なくとも良さを否定してると思うのですが。
Re:非対象読者 (スコア:2)
「ちょっとね」とか「思うのですが」じゃなくて、問題だと思うなら何が問題かはっきり書いてくださいよ。
僕は前述の通り、「アセンブラ短歌」は僕にとってつまらないと感じています。すなわち、僕は「アセンブラ短歌」の僕にとっての「面白さ」「良さ」を否定しています。当然、自分の価値観でです。そのことに何か問題があるとは思いません。
僕は他の人が僕と同じように考えるべきだなんて言っていないし、少しも思っていません。すなわち、「アセンブラ短歌」の他の人にとっての「面白さ」「良さ」を否定する気はありません。