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「一画面に収まらない関数はダメ」とか、「ネストが深ければダメ」とか、これって処理内容を無視した評価基準ではないでしょうか。処理内容によっては、そういったやり方がベストな場合もあると思います。
オブジェクト指向にしてもそうです。アクセッサを使わずに、変数をpublicで公開しても良い場合もあると思います。変数のチェックをしない場合のアクセッサには、どれほどの意味があるのでしょうか?多態性を使わずにswitchで切り替えたほうがシンプルな場合もあります。staticなpublic関数?大いに結構じゃないですか、シンプルで最もオーバーヘッドが小さな実装法だと思います。
画一的な基準で評価するのは工学的アプローチと言えますが、ソフトウェアは芸術的・職人的な側面もありますから。
「一画面に収まる」は前世紀ではそれなりに意味のある基準でした。パンチカードでプログラムを入力していた頃は物理的に80桁に収めねばなりませんでしたし、コーディングやメンテを粗末なキャラクタ端末とviで行なっていた頃は80桁を超えて行が折り返してしまうとまともに編集出来ない場合がありました。今となっては何の意味もないわけですが。
今となってもコードレビューのために1画面、1ページに収めてとかの要望がありますよ。杓子定規に真丸必要はないとは思っていますが。
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
杓子定規な評価基準 (スコア:3, 興味深い)
「一画面に収まらない関数はダメ」とか、「ネストが深ければダメ」とか、これって処理内容を無視した評価基準ではないでしょうか。
処理内容によっては、そういったやり方がベストな場合もあると思います。
オブジェクト指向にしてもそうです。
アクセッサを使わずに、変数をpublicで公開しても良い場合もあると思います。
変数のチェックをしない場合のアクセッサには、どれほどの意味があるのでしょうか?
多態性を使わずにswitchで切り替えたほうがシンプルな場合もあります。
staticなpublic関数?大いに結構じゃないですか、シンプルで最もオーバーヘッドが小さな実装法だと思います。
画一的な基準で評価するのは工学的アプローチと言えますが、ソフトウェアは芸術的・職人的な側面もありますから。
Re:杓子定規な評価基準 (スコア:1)
「一画面に収まる」は前世紀ではそれなりに意味のある基準でした。パンチカードでプログラムを入力していた頃は物理的に80桁に収めねばなりませんでしたし、コーディングやメンテを粗末なキャラクタ端末とviで行なっていた頃は80桁を超えて行が折り返してしまうとまともに編集出来ない場合がありました。今となっては何の意味もないわけですが。
Re: (スコア:0)
今となってもコードレビューのために1画面、1ページに収めてとかの要望がありますよ。
杓子定規に真丸必要はないとは思っていますが。