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書いてあるとおり、についても一通りにしか解釈できないわけじゃないのが厄介な元じゃないですか。例えば、あるライセンスが日本国内において一定部分が無効であったとして、その無効部分だけを無視して自分でいいように解釈することができるでしょうか? 実際には全体で1つのライセンスを形成している場合(GPLを含む、ほぼ全てのライセンスがこれに該当すると思いますが)、1つが無効であれば、使用許可の部分も無効にあると解すべきでしょう。
であるなら、やはり意味不明部分があれば作者に真意を確認せざるを得ないんじゃないでしょうか。
実際には日本では親告罪ですから、訴えられて有罪が確定するまでは無罪ですが、そういうことではなくて一般論としていかがでしょうか?
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
ライセンスの種類 (スコア:0)
どのライセンスを適用するかは作者が考えることで、OSIが考えることじゃない。
OSIがOpen Sourceとして認めていないライセンスについて「Open Sourceで公開」と
作者が宣言しても(商標あたりで引っかからなきゃ)全然問題ないわけだし。
まあ好きにすれば? としか思えない俺
Re: (スコア:2, 興味深い)
他のコードと混ぜる場合極めて重要です。
オレオレオープンソースだとその辺をいちいち条文を読まないとならず、
さらに解釈に困る部分があると結局そのコードを使えなくなってしまいます。
OSI がその辺を整理してくれればいいんですが、そこまではしてくれないので。
# OSI 認定ならいいかというとそうでもないという話
Re: (スコア:0)
>他のコードと混ぜる場合極めて重要です。
>オレオレオープンソースだとその辺をいちいち条文を読まないとならず、
ライセンスの条文を読むなんてことは当たり前のことでは?
>さらに解釈に困る部分があると結局そのコードを使えなくなってしまいます。
面倒臭がらずに作者に問い合わせればいいと思いますが?
Re: (スコア:3, すばらしい洞察)
BSDLやGPLのように有名なライセンスはそのあたりの解釈は済んでいます。もちろん実際に判例が出ないことにはどうなるかはわかりませんが、独自のライセンスなんかよりはずっとその危険性が低いです。独自ライセンスが嫌がられる理由です。まあ「嫌がられる」というと語弊があると思います。でも「せっかくオープンソースっぽい自由度を許そうという志があるのなら変な使いづらいライセンスではなくて風通しのいいのにしようよ」と思うのは不自然ではないと思います。
Re: (スコア:0)
書いてあるとおり、についても一通りにしか解釈できないわけじゃないのが厄介な元じゃないですか。例えば、あるライセンスが日本国内において一定部分が無効であったとして、その無効部分だけを無視して自分でいいように解釈することができるでしょうか? 実際には全体で1つのライセンスを形成している場合(GPLを含む、ほぼ全てのライセンスがこれに該当すると思いますが)、1つが無効であれば、使用許可の部分も無効にあると解すべきでしょう。
であるなら、やはり意味不明部分があれば作者に真意を確認せざるを得ないんじゃないでしょうか。
実際には日本では親告罪ですから、訴えられて有罪が確定するまでは無罪ですが、そういうことではなくて一般論としていかがでしょうか?
Re:ライセンスの種類 (スコア:0)
作者に問い合わせるのは有力な手掛かりになると言っています。「こういうつもりだったんだ」というのは解釈が曖昧な場合通る可能性は高いです。が、ライセンスは契約でありまずは書かれたものが有効です。問い合わせをせずに書かれたものだけを根拠に解釈しても一向に構いません (そのためにライセンスが存在しています)。
これは使う側だけでなく作者も縛るものです。争いになったときに作者が「こう解釈した」という主張と使う側が「こう解釈した」という主張はどちらも尊重されるべきことです。そしてその行方は双方和解できなければ最終的には裁判になります。
というかですね、「こういうつもりなのか」などと問い合わせるのはもうその時点でコストが高すぎます (これは問い合わせる側だけでなく作者側にもいえます)。あなたのおっしゃるとおり厄介です。その後話がこじれる可能性を考えたらリスクの大きさを見積もることさえ難しいです。BSDLやGPLなら背負い込むリスクの大きさはかなりの程度把握できます。なので独自ライセンスのものは忌避されるでしょう。面倒を背負い込む可能性が高いからです。従って、もう一度言いますが「せっかくオープンソースっぽい自由度を許そうという志があるのなら変な使いづらいライセンスではなくて風通しのいいのにしようよ」というわけなんです。
もちろん作ったものは作者のものですからどのようなライセンスで公開しようとその作者の自由です。有名なライセンスで公開しろとか公開すべきと言っているわけではありません。もうちょっとこの辺を考慮して有名ライセンスにしてくれたら嬉しいな、ということです。誤解されるといけないので一応付け足しておきます。