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せめてテキストエディタで書けるフォーマットにしていただきたい。プレインテキストとは言わないが、TeXなりHTMLなりテキストエディタで扱えるもので。
Officeでドキュメント作ると、本題以外の部分で時間かかるんだよねぇ……フォントなどの見た目に文句つけられたり、書いている最中に強制終了されたり。あと図だけじゃなくてちゃんと文章も読め!
自分の場合、
emacsでプレインテキストで書き下ろして、wordに流し込んで体裁だけ整える。図なんかは文章が出来上がった後でVisio使って描いてword上に貼り付ける。
って感じでやってます。改行打ったタイミングとかにwordが余計な事をすることもないしはかどりますよ。
>改行打ったタイミングとかにwordが余計な事をする
オートコレクト全部offにすれば良いんじゃない?不満をいうのではなく、今からmicrosoft wordをきちんと学べ直せば?
Wordに限らずOffice系は基本的に、余計なことをされたら元に戻す(Ctrl+Z)で取り消せます。もちろん、中点や連番付きの文章を改行した時のオートコレクトも。キーボードから手を離さず操作できるのでお勧め。
オプション切るとか根本的に調教した方が良いかもだけど。
そんなアホな作業を擦る必要のない、LaTeXが一番良い。は?言う事を聞かない??
Wordが言うことを聞く、と言う程度のレイアウトしかしていないなら、LaTeXでも問題ない。
LaTeX は、文書のレイアウト情報と構造情報がはっきりしないという問題があるとおもいます。DocBook とか DITA とか(独自形式でもよいので)、きちんと文書構造をもつ形式でドキュメントを作成し、レイアウト情報(スタイルシート)は別に定義しておいて文書作成、というほうがスマートじゃないですか?
もしその「論理構造」ってのが本当にはっきりと「レイアウト情報」と分離可能なら、スマートだと思う。が、果たして分離可能なのか?
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結局、文書というのは「他人に読んでもらうもの」であり、他人は「レイアウト」から入るわけだ。文書に潜む論理構造は、同種のドキュメントをいくつも読んだ後か、巨大なドキュメントを延々読んでいく過程で認識していくのに過ぎない。
その事を考えて文書をつくろうとすると、どうしても「論理構造だけ」では済まないポイントが出てくる。
それを無理やり「論理構造」と「レイアウト」に分離すると、論理構造⇒レイアウト変換ルールがとてつもなく複雑怪奇になっていく。それが「TeXは言う事を聞かない」という一言の根っこにある、「制御できなさ感」の源なわけだ。
この問題はスマートな手法が良い手法とは限らないの典型なのだと思う。
もちろん、ドキュメントとしての構造の中に、タイトル(見出し)であるとか注記(脚注)であるとかの、文書の構造と意味的に重複する部分があるとは思います。しかし、例えば DITA では、意味を持った記述の塊を単位として、それを印刷文書にも、HTML にも変換する、という方法が取られます。つまり、レイアウトはレンダリング形式に依存するわけだし、レンダリング結果の形式がひと通りでない場合は、文書構造はレンダリング形式に依存したレイアウト情報を含むべきではないのではないでしょうか。その意味で、LaTeX はまだ紙形式のレイアウトに由来する構造が多く、例えば他形式に変換する際に障害になるのではないか、とい思うわけです。
「見出し」が常に「フォントサイズはこのサイズで、ブロック前にこれだけのスペースがあったり改行があったりする」というのがあらゆる文書で既定の事項であれば分離不能でしょうが、そんなこともないですよね。「見出し」は「見出し」でしかありません。 そしてこれは「文書を記述する」という、いわばソースコードを書いている時点の話です。
そもそもそのレイアウト情報は、後で版サイズが変わっても同じままでいいのかという話も出てきますが。 この場合、ソースコードにレイアウト情報が埋め込まれているというのはかなりめんどくさい話になりますので、外部に分離できるといいよね、という感じですか。
他人が読む文書というのは、ソースコードである論理構造をライブラリーであるレンダリング情報 (レイアウトはレンダリング方法の一種でしかありません) と合わせて出力される「結果として生成されたドキュメント」です。 ものすごく簡単に言えば A4 出力用のライブラリー (レンダリング情報) とレターサイズ出力用のライブラリーを切り替えればそれぞれで適切に出せるように作成するのが「論理構造とレイアウト情報を分離した」元となる文章です。
レイアウト情報分離してしまえば「点字プリンタ向けの出力」とか「HTML でオンラインドキュメント向けの出力」とか「音声データとしての出力」が同一の文書から生成可能です。元となる文書とレンダリング情報の双方がまともなら、ですが。 本当に紙しかターゲットにしていないコンテンツであるならともかく、いまどき大抵のものが本当に紙しかターゲットにしていないというのは考えにくいのですけどね。
FreeBSD のオンラインハンドブックなんかは DocBook/XML で書いて HTML や TeX、PDF などに変換する形を取っていますが、元となる文書データ自体を書くのは「Word でまともな文書を書く」のと、あんまりかかる労力に差はありませんよ。
なお、「そうは言っても図とかはサイズを考えて個別の配置情報を入れたいだろう」という話はあって当然ですので、普通は複数のレイアウト情報を適用する形で作成するかと思いますよ。テンプレートとなるレイアウト情報 + 文書固有のレイアウト情報 + 文書自体のベースとなる要素を特定できるよう ID を埋め込む、といった感じで。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
ドキュメントめんどくさい (スコア:2, すばらしい洞察)
せめてテキストエディタで書けるフォーマットにしていただきたい。
プレインテキストとは言わないが、TeXなりHTMLなりテキストエディタで扱えるもので。
Officeでドキュメント作ると、本題以外の部分で時間かかるんだよねぇ……
フォントなどの見た目に文句つけられたり、書いている最中に強制終了されたり。
あと図だけじゃなくてちゃんと文章も読め!
Re: (スコア:1, 興味深い)
自分の場合、
emacsでプレインテキストで書き下ろして、wordに流し込んで体裁だけ整える。
図なんかは文章が出来上がった後でVisio使って描いてword上に貼り付ける。
って感じでやってます。改行打ったタイミングとかにwordが余計な事をする
こともないしはかどりますよ。
Re: (スコア:0)
>改行打ったタイミングとかにwordが余計な事をする
オートコレクト全部offにすれば良いんじゃない?
不満をいうのではなく、今からmicrosoft wordをきちんと学べ直せば?
Re: (スコア:0)
Wordに限らずOffice系は基本的に、余計なことをされたら元に戻す(Ctrl+Z)で取り消せます。
もちろん、中点や連番付きの文章を改行した時のオートコレクトも。
キーボードから手を離さず操作できるのでお勧め。
オプション切るとか根本的に調教した方が良いかもだけど。
Re: (スコア:1)
そんなアホな作業を擦る必要のない、LaTeXが一番良い。
は?言う事を聞かない??
Wordが言うことを聞く、と言う程度のレイアウトしかしていないなら、LaTeXでも問題ない。
fjの教祖様
Re:ドキュメントめんどくさい (スコア:1)
LaTeX は、文書のレイアウト情報と構造情報がはっきりしないという問題があるとおもいます。
DocBook とか DITA とか(独自形式でもよいので)、きちんと文書構造をもつ形式でドキュメントを作成し、
レイアウト情報(スタイルシート)は別に定義しておいて文書作成、というほうがスマートじゃないですか?
Re:ドキュメントめんどくさい (スコア:1)
もしその「論理構造」ってのが本当にはっきりと「レイアウト情報」と分離可能なら、スマートだと思う。が、果たして分離可能なのか?
.
結局、文書というのは「他人に読んでもらうもの」であり、他人は「レイアウト」から入るわけだ。文書に潜む論理構造は、同種のドキュメントをいくつも読んだ後か、巨大なドキュメントを延々読んでいく過程で認識していくのに過ぎない。
その事を考えて文書をつくろうとすると、どうしても「論理構造だけ」では済まないポイントが出てくる。
それを無理やり「論理構造」と「レイアウト」に分離すると、論理構造⇒レイアウト変換ルールがとてつもなく複雑怪奇になっていく。それが「TeXは言う事を聞かない」という一言の根っこにある、「制御できなさ感」の源なわけだ。
この問題はスマートな手法が良い手法とは限らないの典型なのだと思う。
fjの教祖様
Re:ドキュメントめんどくさい (スコア:1)
もちろん、ドキュメントとしての構造の中に、タイトル(見出し)であるとか注記(脚注)であるとかの、
文書の構造と意味的に重複する部分があるとは思います。
しかし、例えば DITA では、意味を持った記述の塊を単位として、それを印刷文書にも、HTML にも変換する、
という方法が取られます。
つまり、レイアウトはレンダリング形式に依存するわけだし、レンダリング結果の形式がひと通りでない場合は、
文書構造はレンダリング形式に依存したレイアウト情報を含むべきではないのではないでしょうか。
その意味で、LaTeX はまだ紙形式のレイアウトに由来する構造が多く、例えば他形式に変換する際に障害になるのでは
ないか、とい思うわけです。
Re:ドキュメントめんどくさい (スコア:1)
「見出し」が常に「フォントサイズはこのサイズで、ブロック前にこれだけのスペースがあったり改行があったりする」というのがあらゆる文書で既定の事項であれば分離不能でしょうが、そんなこともないですよね。「見出し」は「見出し」でしかありません。
そしてこれは「文書を記述する」という、いわばソースコードを書いている時点の話です。
そもそもそのレイアウト情報は、後で版サイズが変わっても同じままでいいのかという話も出てきますが。
この場合、ソースコードにレイアウト情報が埋め込まれているというのはかなりめんどくさい話になりますので、外部に分離できるといいよね、という感じですか。
他人が読む文書というのは、ソースコードである論理構造をライブラリーであるレンダリング情報 (レイアウトはレンダリング方法の一種でしかありません) と合わせて出力される「結果として生成されたドキュメント」です。
ものすごく簡単に言えば A4 出力用のライブラリー (レンダリング情報) とレターサイズ出力用のライブラリーを切り替えればそれぞれで適切に出せるように作成するのが「論理構造とレイアウト情報を分離した」元となる文章です。
レイアウト情報分離してしまえば「点字プリンタ向けの出力」とか「HTML でオンラインドキュメント向けの出力」とか「音声データとしての出力」が同一の文書から生成可能です。元となる文書とレンダリング情報の双方がまともなら、ですが。
本当に紙しかターゲットにしていないコンテンツであるならともかく、いまどき大抵のものが本当に紙しかターゲットにしていないというのは考えにくいのですけどね。
FreeBSD のオンラインハンドブックなんかは DocBook/XML で書いて HTML や TeX、PDF などに変換する形を取っていますが、元となる文書データ自体を書くのは「Word でまともな文書を書く」のと、あんまりかかる労力に差はありませんよ。
なお、「そうは言っても図とかはサイズを考えて個別の配置情報を入れたいだろう」という話はあって当然ですので、普通は複数のレイアウト情報を適用する形で作成するかと思いますよ。テンプレートとなるレイアウト情報 + 文書固有のレイアウト情報 + 文書自体のベースとなる要素を特定できるよう ID を埋め込む、といった感じで。