アカウント名:
パスワード:
LinuxBIOS is a Free Software project aimed at replacing the proprietary BIOS (firmware) you can find in most of today's computers.
プロプラの牙城を切り崩したぞー、やったあという宗教戦争の末端に何でもかんでも組み入れて喜んでる視点しか無いのが非常に残念だ。
#ハード屋の下々の者としては使われ方なんて百様あるから別にいいかなとも思う。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
「思想的にフリーな」とは (スコア:0)
「fat-free」のような意味での「フリー」,つまり「思想がない/特定の思想に縛られない」ということでしょうか?
しかし,「プロプライエタリなファームウェア」は「儲かれば思想なんかどうだってよい」わけで(間違ってる?), 「思想的にフリーな」ことを指向しているLinuxBIOSの方がよほど「思想に縛られている」ように思えます. 「思想なんかどうてもよいファームウェアを『思想に縛られない』という思想に縛られているファームウェアで置き換える」ことの意義とは何でしょうか?
それともこの「思想的にフリーな」という表現は,「理論的に可能な」のような用法(「現実的には不可能な/困難な」ことを含意)で 用いられていて,「思想的にフリーな」とは「実践的には/実業的には/現実的にはフリーでない」ことを意味するのでしょうか?
それとも,もしかして「プロプライエタリなファームウェアをフリーなファームウェアに思想的に置き換える」ってことでしょうか?
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:1, すばらしい洞察)
「プロプライエタリなファームウェアをフリーなファームウェアに置き換える」
という「強い思想」を感じる。
「GNU≠Linux」と解釈するにしても、早く「フリー」のいい日本語訳を見つけないと、
イタい人たち同士による不毛な内部抗争が始まっちゃうんじゃないの?
不毛な論争が続く間は、メーカーや企業は使用を控えてしまい、単にマニアのオモチャ
にしかならない気がする。
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:1, 参考になる)
LinuxBIOS のサイトに
とありますが、このように大文字で "Free Software" と書く場合には "Free" という言葉に FSF の定義する Free [fsf.org] の意味をこめていると解釈できます。
・・・というのは常識の範疇の知識かと。
あなたがその思想に賛同しなくても、言葉の意味くらいは知っていてもいいと思いますよ。
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:2, 参考になる)
GNU/FSFの精神的な歴史=そもそもMIT AI LABに住み着いていたRichard M. Stallmanの経験に基づく思想史的な側面が強いので、紋切調に説明するには非常に難しい部分があると思うのですが、
Free as Freedom!
と言う90年代に入る前後のGNU関連のソフトウェアなどのドキュメントの記述の終わりに良くあった言葉が象徴していると思います。
「自由である自由」--日本語にするとまったくわけわかめになりますが、Freedomと言う言葉が南北戦争や黒人公民権運動のみならず、フランス革命以降の欧米の「自由」「民主主義」を求め・維持する精神を象徴する意味合いが強い英単語ですから、「自由を獲得・維持することの自由」と言う感じの言葉に置き換えれば良いのでしょうか。
つまりは、「自由は受け取っているだけではどこかにいなくなるから、自由を維持するには自分自身が自由であるために必要な努力が必要だよ」と言う非常に精神論的かつ政治的な言葉に繋がります。
だからこそ、逆にFSFやRMSはソフトウェア特許やDRMなどと言う、「(ソフトウェアや電子情報の世界において)自由を縛る=個人の自由権を脅かす存在」に対して非常に神経質であるし、個人的にはそういうあたりが好きで末席を汚して関わってるのでありますが。
Free as in Freedom (スコア:0)
程度の意味だと思ってました。
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:0)
プロプラの牙城を切り崩したぞー、やったあという宗教戦争の末端に何でもかんでも組み入れて喜んでる視点しか無いのが非常に残念だ。
#ハード屋の下々の者としては使われ方なんて百様あるから別にいいかなとも思う。
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:0)
> それとも,もしかして「プロプライエタリなファームウェアをフリーなファームウェアに思想的に置き換える」ってことでしょうか?
誰かから吹き込まれたんですか?
そういう先鋭的な考え方をもつ方もいますけど
私から見れば手段が目的化してるだけなんで、真に受けないほうがいいです。
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:0)
>誰かから吹き込まれたんですか?
>そういう先鋭的な考え方をもつ方もいますけど
>私から見れば手段が目的化してるだけなんで、真に受けないほうがいいです。
元コメントの主です.3番目の解釈はなんというかジョークみたいなものです.
始めは(((思想的にフリーな)ファームウェアに)置き換える)とパーズして理解に苦しんでいたのですが,
途中でふと((思想的に)(フリーなファームウェアに)置き換える)というパーズも可能であるということに気づいたまでで.
真に受けないでください ;-)
# Time flies like an arrow = 時間バエは矢がお好き
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:0)
こっちで合っています。違和感はありません。
「思想的にフリー」という表現は「ストールマンの思想に合った」という意味で、敵であるプロプラBIOSから尊師の息のかかったBIOSに置き換えることは、GNU原理主義者にとって聖戦でもあるということです。
Re:「思想的にフリーな」とは (スコア:0)
タレコミ主が答えるべきだな
リンク先のプロジェクトを見れば「フリー」とか本質的に問題視してないことがわかる
クラスタやってる人なので起動時間をなるべく短くしたかった,という目的に
手段としてBIOSを簡略化しようとしている,ということかと