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StallmanがプロジェクトGNUを始めたとき、プロプライエタリなソフトウェアが蔓延することによって、契約書にサインしまくらないと既存のコードを再利用できなくなる、ということを懸念していたわけですよね。
GPLで公開するソフトウェアを書くとき、GPLで公開されているソフトウェアを参照することに何の心配もありません。Stallmanが狙っていたことは、ここにありますよね。安心して既存のコードを再利用できる世界の実現が、ここにあるわけです。
GPL汚染を警戒して、FOSSに接点のあるプログラマを雇わないようにするのはそれはそれでひとつの見識だと思います。GNUも、GNUコーディング規約の中でフリーソフトウェアをフリーに保つには [sra.co.jp]という一節を設けて「プロプライエタリ汚染」を警戒しているわけですし。
わかりにくかったですか?すみません。
私が言いたいことは以下の通りです。
前者の状況は、世界にGPLがなくても変わりません。さまざまな特許や
もしこのままGPLの汚染が広がると、ソフトウェアを開発することで飯を食べていこうという人が稼げなくなってしまう。
今現在の人数で社会のニーズを十分に満たすことはできているのでしょうか?
GPL その他のオープンソースの採用を増やしてもゲームは止まらない。 なぜなら開発者の「より良い物を」という動機は制約できないし、 制約するべきことでもないからだ。
では減ったほうが社会にとって善なのか?
GPLによる公開の強制と、自由競争が行われるということは矛盾している。 GPLの理念は自由競争ではなく、共産主義に近い。
ソフトウェア開発者がソフトウェア開発に夢を抱くことができなくなり、
少ない一部の優秀な開発者の仕事を、質の悪い開発者が流用して 質の悪いソフトにして世に出している現状を考えると、 優秀な開発者のモチベーションは下がっていくだろう。
質のよいソフトを作ってリリースしても、それはコピーされるだけで 自由競争などは絶対にできない。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:5, 参考になる)
StallmanがプロジェクトGNUを始めたとき、プロプライエタリなソフトウェアが蔓延することによって、契約書にサインしまくらないと既存のコードを再利用できなくなる、ということを懸念していたわけですよね。
GPLで公開するソフトウェアを書くとき、GPLで公開されているソフトウェアを参照することに何の心配もありません。Stallmanが狙っていたことは、ここにありますよね。安心して既存のコードを再利用できる世界の実現が、ここにあるわけです。
GPL汚染を警戒して、FOSSに接点のあるプログラマを雇わないようにするのはそれはそれでひとつの見識だと思います。GNUも、GNUコーディング規約の中でフリーソフトウェアをフリーに保つには [sra.co.jp]という一節を設けて「プロプライエタリ汚染」を警戒しているわけですし。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:0)
商用(売り物)ソフトを書くときにGPL汚染する可能性を心配している話です。
GPLなソフトをプロプライエタリなライセンスから守るという話でもありません。
GPLはサインをしまくらなくても、容易に汚染するのが危険だということです。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:1)
わかりにくかったですか?すみません。
私が言いたいことは以下の通りです。
前者の状況は、世界にGPLがなくても変わりません。さまざまな特許や
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:0)
それは大量にサインしまくる、ということにはならない。
また、現在の事実として、GPLは自由なソフトウェアの開発を妨げている。
GPLは自由なGPLソフトウェアの開発しか促進しない。
自由なソフトウェアの開発を促進したいなら、BSDなどのGPL以外のライセンスが良い。
もしこのままGPLの汚染が広がると、ソフトウェアを開発することで飯を食べていこうという人が稼げなくなってしまう。
GNUに夢を抱きすぎだと思う。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:1)
それと同じように、ソフトウェア産業に従事する人口が増えることは、必ずしも社会に
とって善ではない。
より少ない人数で社会のニーズを十分に満たすことができれば、その方が世の中のために
なるのではないか? それを実現するために自由競争ってものがあるんじゃないのかね?
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:0)
今現在の人数で社会のニーズを十分に満たすことはできているのでしょうか?
できているのであれば、「より少ない人数で」というのは説得力を持ちますが
できていないのであれば将来はさらに不安になるということになってしまうと思います。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:1)
しかしそれは、人数が足りないからではない。ジョエル・スポルスキーが言うところの
「射撃しつつ前進」 [joelonsoftware.com]という一種のゲームに、あまりにも多くの労力を割いて
いるからではないか。
かつては年度末になると、あちこちで舗装道路を掘り返して、予算消化のための工事をしている、
と言われたものだった。(今は少し控えめになっているらしい。)あんなことは土建業界の外側から
見れば、有り難くも何ともない。同じように、ソフトウェア業界内のゲームに多大な労力が費やされる
ことも、外側から見れば有り難くも何ともない。
ゲームを止めるだけで、社会のニーズを満たすために必要な人数は激減する。汎用的なソフトウェアの
部分で GPL その他のオープンソースの採用を増やすことは、ゲームを止めるための方法の一つである。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:0)
社会のニーズは変化していくものだし、
ハードウェアが変わることでソフトウェアでできることも変化していく
GPL その他のオープンソースのフレームワークだって進化しているし
新しいアイディア、設計手法のフレームワークだって生まれてくる。
GPL その他のオープンソースの採用を増やしてもゲームは止まらない。
なぜなら開発者の「より良い物を」という動機は制約できないし、
制約するべきことでもないからだ。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:1)
プロプライエタリソフトウェア供給業者が作為的に作り出す
ソフトウェアの陳腐化とは区別する必要がある。
スポルスキーが「射撃しつつ前進」というエッセーで説明して
いるのは後者だ。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:0)
むしろやらないほうが良い公共工事と、至極一般に経済活動として
形作られたソフト開発を同列にしている時点で論理が間違っている。
vnの論理で言えば、野菜も無料で配るべきで、農家も収入を求めず、
漁業も取ってきた魚も無料で配ったほうが社会のためということになる。
道路を走る自動車も、設計者も生産工も無料で働けと。
そのほうが社会のためになるし、自由競争が生まれて質が向上する。
そんなことあるわけがない。
自分がむちゃくちゃなことを言ってることに気がつかないのだろうか。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:0)
>と言われたものだった。(今は少し控えめになっているらしい。)
/.jで何度も何度も真実が語られているにも関わらず、
いまだに都市伝説を信じているバカがいるなぁ。
岐阜県職員乙 (スコア:0)
は?
> いまだに都市伝説を信じているバカがいるなぁ。
あなたのことですか?
予算使い切りは紛れもない事実ですが。
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:0)
>それと同じように、ソフトウェア産業に従事する人口が増えることは、必ずしも社会に
とって善ではない。
では減ったほうが社会にとって善なのか?
>より少ない人数で社会のニーズを十分に満たすことができれば、その方が世の中のために
なるのではないか? それを実現するために自由競争ってものがあるんじゃないのかね?
GPLによる公開の強制と、自由競争が行われるということは矛盾している。
GPLの理念は自由競争ではなく、共産主義に近い。
ソフトウェア開発者がソフトウェア開発に夢を抱くことができな
Re:というか、これこそ予言されていたことでは? (スコア:1)
自由競争が行われているし、行われるべきである。安くて早くて旨い方が繁栄するのだ。 端的に言えば、Google は Microsoft とは違う夢を見せることができる。
古い枠組みにしがみついているほど、「夢を抱くことができなく」なるのは当然だ。 DHH や Larry Wall のモチベーションは下がったか?
ソフトウェア業界に愛想を尽かして去っていっただろうか?
まあ、今後も検証する必要がある。 いま Java と Ruby と Perl と Python と VB と C# と Objective-C との間で
起こっていることが、自由競争だ。